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千鳥の世界

温故知新:かつどう

今の若い人たちはご存じないでしょうが、「映画」は 昔々「活動写真」と言われていました。もっと単純に「かつどう(活動)」と呼ばれ、大正時代の初めには『怪盗ジゴマ』シリーズが大ヒット、全国的人気を博しました。「かつどう」は大正デモクラシーの中で新しいメディア・文化として広く受け入れられつつあったのです。田中千鳥が生まれた翌年1918年にはアメリカでチャップリンが『犬の生活』を作り、次の年1919年にはドイツで『カリガリ博士』が作られました。娯楽+芸術としての「かつどう」の歴史の始まりです。1921年(大正10年)文部省普通学務局が行った「全国に於ける活動写真状況調査」が遺されています。

さらに最近、鳥取大学地域学部地域学科国際地域文化コース講師 佐々木友輔さんは当時の鳥取の映画状況をつぶさに調べ貴重なレポートを発表しています。

以下 佐々木さんの【「見る場所を見る—鳥取映画小史」①】から引用します。

第1章 劇場と活動写真(1898〜1936)

最初に活動写真(映画)が日本に輸入されたのが1896(明治29)年。鳥取に持ち込まれた正確な時期は不明ですが、1898(明治31)年にはすでに小学校や寄席・劇場で活動写真会が行われた記録が残っています。当時市内にあった幸座大黒座などの劇場は、芝居に限らず、活動写真会や政治集会、市民大会などにも利用され、現在の市民会館や公会堂に似た役割を果たしていました。

1912(明治45)年7月27日、袋川に架かる若桜橋の近くに鳥取初の活動写真常設館・電気館が開館しました。同年3月に山陰線が京都から出雲まで全通しており、その集客を見込んで鳥取駅近くに建設したのだと思われます。特徴的な館名は、日本初の活動常設館である浅草の電気館にあやかったもの。残念ながら鳥取の電気館に関する資料は僅かしかなく、外観を記録した写真も見つかっていません。

鳥取の初期映画史を語る上で欠かせないのが、鳥取育児院(現在の鳥取こども学園)の尾崎信太郎です。尾崎は育児院の運営資金を得るために活動写真の巡回上映を始めましたが、1914(大正3)年に幸座を活動常設館・世界館に改め、9月1日に興行を開始します。さらにはライバル関係にあった電気館を購入したり(後に寄席に転用)、劇場・戎座を借り受けて一時的に活動常設館として運営した後、1920(大正9)年2月18日に新たな活動常設館・帝国館を建設。世界館帝国館を擁する川端通りは繁華街として栄え、川端銀座と呼ばれるようになります。1926(大正15)年10月15日には、当時はまだ田園が広がっていた末広通りの発展を期して、第三の活動常設館・末廣館(後の末広映劇)が開館します。管弦楽団の招聘や昼弁当の販売、さらには食堂や浴場を館内に設置するなど、ユニークな経営戦略が立てられました。

もとより、千鳥がかつどうを見たかどうかは分かりません。記録もありません。ただ、体調 按配の良い日 母親古代子か祖母に連れられ、川端銀座の世界館・帝国館に出掛けたことを夢想すると、どこかほっこりした気分になります。

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

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