千鳥は母や祖母と一緒によく散歩を楽しみました。朝早くや夕闇のころ、浜辺や山里を歩いたようです。その時のことも詩に書きました。
「月」
まあるいまあるい / お月さま / いつまで わしらに / ついてくる / どこまで わしらに / ついてくる (七歳)十二月
「朝の月」
まだよのあけぬ / 白月よ / お星のおともを一人つれ / お月様はどこにゆく
朝日をおがんでかへりがけ / ちらりと空を見上げたら / お月様は しらぬまに / お星と いつしよに / き江ていた / 月のゆくへは わからない (八歳)八月一日朝
日や月や星について、谷川俊太郎は詩集『どこからか言葉が』の中でこう書いています。
「ルバイヤートに倣ってまた」 (部分)
お日様 お月様 お星様 / なんの疑問も抱かずにそう呼びかけていた / 子どものころ天体はみな神様の親戚 / 知識に毒されない幼い知恵だったのだ それは
こんなのもあります。「とげ」(部分)
ヒトが創ったものは何ひとつない / すべては自然に生まれたのだ / 私の胸は無言の感嘆詞でいっぱいだ
「無言の感嘆詞」 千鳥の詩行の中にもこれがあふれています。