「通信」と共に最も大きく様変わりしたのは、「流通」・「物流」でしょう。自動車の普及以前、貨物輸送の中心は、海運・船と鉄道でした。大正時代は鉄道敷設が全国に広がった時代です。荷物は、鉄道便で駅まで運ばれ、そこから人力や牛馬にたよって、各戸まで運ばれていました。ということで、消えたものシリーズ、第二回は「大八車」と「リヤカー」です。十代二十代の人たちには全く馴染み無いかも知れませんが、ともに荷物を運ぶための荷車で、こんなものです。
リアカーというのは、和製英語です。ウイキペディアには、「「後部(Rear)に位置する車(Car)」の意でリヤカーと命名された」と書かれています。馴染みのない人も、町でこんな道路標識や宅配業者の姿を見たことがあるのではないでしょうか。
千鳥の母・古代子の生家は、山陰線浜村駅の駅前で、運送業を営んでいました。開通と同時に鉄道輸送を手掛け始めたのですから、おそらく時代の流れにさとく、それなりに力のある素封家だったのだろうと推察されます。鉄道の駅から、馬車や人力で大八車やリアカーに乗せ換えて運ぶ「小口輸送」は当時新進の花形事業のひとつでした。
時代は移り、人の貨物も、輸送の中心は「自動車」に変わりました。高速道路網の完成とe-コマースの進展(ネット通販から個人間売買まで)、ハードとソフト両面の変化で、「流通」・「物流」の世界は激変しました。その変化は様々な形で表れています。経済学の世界で云われる「合成の誤謬」はその一つですが、ここでは「公共の希薄化」について、語ってみたいと思います。
「公共の希薄化」:千鳥の生きた大正時代に比べ、昭和・平成を経た令和の今は「公共の影が薄くなった時代」だといえそうです。運行ダイヤに合わせる鉄道利用に比べ、勝手気ままにそれぞれが自由な時間に運行移動できる自動車は、便利で快適になった反面、「公共社会の姿・役割」を見え難くしてしまったように思えるのです。個⇔個、私⇔私の自家直接取引、本当は中間に「見えない公共・社会の仕組み」があるのに、それらは「不可視化」され、「見えないうちに」「知らぬ間に」直の取引だけが見えてくる「自由」で「便利」な社会の実現。それは「公共の役割・意味や価値、面倒や桎梏・矛盾」を隠し、「複雑化」のプロセスを見えなくしてしまったのではないでしょうか。それは、確かに、科学技術の進化、文明の成果なのでしょうが、一方で、「個」や「私」の無防備・無神経な拡張が、「公共」の希薄化をもたらし、その結果、「個」や「私」は鍛えられることなく、やわで薄っぺらになってしまったのだとしたら、哀しいことです。時計は巻き戻せず、時代は帰りません。千鳥の遺した「詩」や「文学」の世界でも、「新しい公共」が生まれることが真剣に模索される時代に入っているのだと思います。(「公共の希薄化」「新しい公共」については、引き続き考えて参ります。)