「かなりや」の作詞は、西條八十です。ウイキペディアにはこうあります。
原詩である『かなりあ』は1918年(大正7年)の『赤い鳥』11月号に掲載された。『赤い鳥』の専属作曲家であった成田為三が詩に曲を付け、1919年(大正8年)5月号に『かなりや』と題名を改めて曲譜とともに掲載され、同年6月に開催された「赤い鳥」1周年記念音楽会でも歌われた。翌年1920年レコード化、レコード化された童謡としては最初期の作品とされる。細部に民謡の影響を感じさせる箇所はあるものの、全体としてフランス象徴詩の手法を用いてファンタジーの世界を構築した詩である。1947年(昭和22年)、最後の国定教科書に採用された際には題名が『歌を忘れたカナリヤ』と改められ、「唱歌」となった。その後、1960年(昭和35年)まで、5年生の教科書を中心に掲載された。
西條八十は 野口雨情 北原白秋と並び三大童謡詩人と称される詩人ですが、昭和期には無数の歌謡曲を作詞したヒットメーカーでした。「青い山脈」も「王将」も「東京行進曲」も八十の作詞です。映画『人間の証明』の主題歌も手掛けました。西條の原詩を歌手のジョー山中が英訳して歌った、とこれも亦、ウイキペディアにあります。
「かなりや」について、西條八十はこんな解説を書きました。
西條八十の「かなりや」より、平成・令和の若い皆さんには、2020年米津玄師がリリースした歌曲「カナリヤ」のほうがポピュラーかも知れません。時代は変わりました。けれど、バトンは繋いでほしいものです。
そして、変わることなく「ほんたうになやんでゐる者に同情してやりませう。」