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千鳥の世界

『生きていくうえで、かけがえのないこと』

『生きていくうえで、かけがえのないこと』は、小説家・吉村萬壱さんの初エッセイ集です。【2016年9月 亜紀書房 刊】

書く」から引用します。

私は小説家だが、小説を書くより遙かに多く日記を書いている。日記はニ十歳の時から付けている。(ちなみに、現在九十九冊目だそうです。)

やがて、小説をかくようになったが、小説はワープロで書いた。芥川賞の授賞式で、今は亡き河野多恵子さんに「あなた、ワープロで書いてるでしょ」と言われた。「はい、分かりますか?」「分かるわよ。文章が滑ってるわよ。手書きにしなさい」「そうですか?」「そうよ。手書きだと、書く時の覚悟が違ってくるのよ」。文字は「打つ」より「書く」方が手間である。原稿用紙に書くとワープロのように簡単に修正や編集が出来ないから、一文一文に賭ける思いが真剣になる。‥‥(中略)‥‥ 私は何であれ、人の手によって書かれた文字が好きである。町外れのゴミ捨て場に捨てられた水商売の女性の恨みの籠もった日記、シベリアに抑留された人が白樺の木の皮に煙突の煤(すす)で記した短歌、漁師の書いた漁業組合の寄り合いの日時を記したメモ、低学年児童の連絡帳などを目にすると、書くことの切実さが伝わってきてゾクゾクする。「にんじん、大根、ヨーグルト、ハンドクリーム、輪ゴム」などと書かれた買い物メモだけでも、一編の詩ではないか思うことがある。下手に文章を書くことを仕事になどしていると、自分の文章が、そんなメモにすら敵(かな)わない薄っぺらで不要のものであると思えてならない。‥‥(中略)‥‥文字を書かずにいられない「ハイパーグラフィア」という病気があるらしいが、私はこれかも知れない。いつか主婦の買い物メモに劣らぬ、必然性の漲(みなぎ)った稠密(ちゅうみつ)小説が書けたら、と思う。」 

千鳥の時代、文字はすべて手書き「書き文字」でした。今は物書きのプロも大半はおそらく「打ち文字」のパソコン文筆家でしょう。文字が軽くなってしまった今、手で書かれた千鳥の詩が、有無を言わさぬ力で私たちに迫る理由のひとつはココにもあるのかもしれません。その切実・必然が私たちを魅了するのです。初々しさ、書くことのよろこび と言ってもよいでしょう。

時代によって、ことばの重量が変わるというのは致し方ないことだとしても、どこか 哀しく 寂しい ことです。

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

詩の「音楽性」

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