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千鳥の世界

千鳥詩に触れて④ 〝詩を生きた〟少女

漆原正雄さんは、鳥取で梨農家を営みながら詩や小説を書いています。『地上にまつわるフィクション』で2014年 第一回とっとり文学賞、2019年には『梨の花』で第一回川端康成青春文学賞奨励賞を受賞しました。漆原さんとの出会いは2017年夏に作った映画『千鳥百年』でした。上記の新聞記事(切り抜き)は、映画を観た漆原さんが日本海新聞に投稿されたもの(2017年9月4日付)です。以来 千鳥の詩については何度も書いておられます。今日紹介するのは、漆原さんのブログ「鳥の家の日々」に寄せられた一文です。

チドリさんのこと   漆原正雄

 先日、『千鳥のうた』(詩・田中千鳥/絵・アジコ)をいただいた。チドリさんの詩にはいくどもふれてはいるものの、この冊子にはイラストレーターのアジコさんの絵がついていて、チドリさんのまなざしをとおりこころにのこった、やさしいなつかしいせつない情景が、そっくりそのまま写しとられているかのようだった。

 キノハノ ヲチタ

  カキノキニ

  オツキサマガ

  ナリマシタ(「無題」)

チドリさんがはじめて詩を書いたのは五歳のときだったという。すっかり葉の落ちた柿の木のまえで、雲間からお月さまがあらわれるのをじっと待っているチドリさんが目に浮かぶ。

 やがてお月さまが柿の木に到着すると、チドリさんは顔をぱっとあかるくして

「あっ!」

 と声をあげる。

 その瞬間、周囲の虫や小動物や小鳥たちが――風さえも!――いっせいに立ちどまり、チドリさんの指のさきを見るだろう。

 チドリさんの詩が生まれるときは、いつも決まって世界がうつくしいときだ。

 

こぼれるような

  雨がふる

  木のは と雨が

  なんだかはなしを

  するやうだ

  山もたんぼも雨ばかり

  びつしよりぬれて

  うれしさう(「雨と木のは」)

そうだった、チドリさんは雨が一等好きなのだ。母親の古代子さんも《雨の降る日が大好きで、雨の日にはころりと人間が変つて仕舞つた。いるかいないかわからない程、ヂツとしづかにしてゐて、口も利かずに一人で何かしてゐた》と述懐している。目も耳もいいチドリさんは、屋根をたたく雨音を一音一音聴きわけることも、雨樋をしたたる雨の表情を一滴一滴見わけることもできたにちがいない。あるいは、ふと雨そのものになってしまうことも。

 雨そのものになってしまったチドリさんは、木の葉とはなしをする。山や田んぼとたわむれる。みんながうれしそうなので、じぶんもうれしい。チドリさんがわらうと世界もわらう。

  シズカナバンカタニ

  ホンヲヨンデヰルト

  トホイ ホヲカラ

  オテラノカネガ

  ゴーン ゴーント

  ヒビイテキタ(「オテラノカネ」)

 風にゆれる柳の枝や菜の花や稲穂、ゆうぐれの汽車の煙やしんしんとふりつもる雪……。小川のせせらぎや波の音、お寺の鐘の音や鈴虫の鳴き声……。

 チドリさんは世界と対話をしたり詩を書いたりすることで、なんども「日付を編みなおしていた」のだとぼくはおもう。チドリさんは一日一日、日付を編みなおし、「この日」「この瞬間」と出会いなおしていたのだ、と。

 鳥取市気高町の海辺の村で大正時代に生まれて八十編あまりの詩文をのこしたチドリさんは、わずか七年半の人生だった。しかし、それでもひとの一生は決して短くないものだということを、チドリさんは教えてくれている。

 〝いかに生きるか〟とは、つまりそういうことなのだ。

 ばんかたの空に

  ぽつぽと

  き江てゆく

  きしやのけむり(「けむり」絶筆)

 

 

 

 

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

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千鳥詩に触れて⑤ 邯鄲堂

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