「ことばは、何かすでにあるものを叙述するというより、何かある形の定かでないものに初めてかたどりを与えることである」鷲田清一さんはそう書きました。(『〈想像〉のレッスン』)
「みえてはいるが誰もみていないものをみえるようにするのが、詩だ」長田弘さんの言葉です。(『記憶のつくり方』)
そうです。千鳥の中に事前に何か伝えたいこと=主張やメッセージがあったわけではありません。「書くべきお話がアタマの中にあるから書けるのではない。書いているという作業がアイディアを呼び寄せる」(小田嶋隆『コラムの切り口』)のです。目の前に拡がる何か、光や形や空気や匂いを言葉に紡ぐことで、初めて生まれる世界=ゆくりなく開けていく視界を言葉でかたどったのです。ひとつひとつの言葉が、ものごと・じぶつを明らかにしていくプロセスであり、その初々しさ・躍動感が読み手に伝染し、気持ちよさ・清々しさとして波及していくのです。初心と無垢。人が言葉と出会う瞬間の喜びが私たちに伝わります。