趣向を変えて、千鳥が生きた大正時代に生まれ、令和の今もみんなが知っているものを採り上げる〈温故知新〉シリーズです。百年を経て親しまれるお菓子やおもちゃの話題を綴ります。暮らしの中に根付き長く愛され続けるもろもろを思ってください。第一回は「ミルクチョコレート」です。日本で一番最初に板状のミルクチョコレートを作って販売したのは森永製菓でした。1918年=大正11年のことです。森永製菓のウエブサイトの沿革・歴史の頁には「まだチョコレートが高級な輸入品ばかりで庶民の手に届かなかった時代、森永は最新の設備を輸入し、外国人技師を招いてカカオ豆からのチョコレートの一貫製造を開始。1918(大正7)年に初の国産ミルクチョコレートを発売しました。」とあります。
新発売時の広告のようです。
熱量=カロリー 精力=ヱネルギーというフリガナ(ルビ)を見ると、カタカナ英語が結構普及していたことが分かります。1918年(大正7年)といえば、千鳥は満一歳になったばかりでした。育った鳥取の村にチョコレートが出回っていたかどうかは定かではありません。ただ、生家は豊かでハイカラでもあったので、口にしていたかもしれません。価格は、大 廿(二十)銭 小 十銭 。当時はコーヒー一杯、もりそば、カレーライスが十銭前後だったようですから、結構な値段でした。
これは1923年関東大震災後に科学知識普及会が発行していた雑誌『科学知識・震災踏査号』に載せた一ページ広告です。「那破翁=ナポレオン」「徂徠の豆」という文字もみえます。「嗜好は人格の片鱗なり。」とは大げさですが愉快です。