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千鳥の世界

チドリが見たものは‥なつやすみ日記から

大正十三年 ちどり八歳(満七歳)の「なつやすみ日記」はひらがなで書かれています。尋常小学校の二年に進級し、ひらがなを覚えたのでしょう。「海」や「私」「朝」「星」など漢字も見えます。当時の資料を参照してみたら「尋常二年生になると国語が全時間の過半を占めた」とありました。日記には、くらげ、きしや、おぢちやんのゑ、いかとり、しらほ舟、七夕さんながし、ききようの花、などが登場します。千鳥が目にしたものやことが綴られますが、前の年の日記が十四日分あるのに比べ、この年は五日と少なめです。体調が芳しくなかったのかもしれません。

八月八日 (最終)

「又、今日も海に出やうか。」母ちゃん「つかれが出たら、わるいから、出んが江ゝぜ。」おばあちやん「どうしようか」「出やう出やう」母ちやん「つかれが出たら、わるいから、一日でも やすみなさい。」「なになに、つかれなんぞ、出はしないから出やう出やう」おばあちやん「それならいこう。」「さんせい、さんせい、大さんせい。」

鳥取出身の知人は、このやりとりを読んで、「郷土のことばが耳の底から蘇ってくるようで懐かしい」と語っています。日記の末尾に母・古代子の註があります。

この日の夕方、この日記を電燈の下で面白がつて書いてゐた。「ケムリ」の詩も前後して書いた。そして翌朝は熱發してそのまゝ永劫の眠りについた。毎朝星を頂いて海に出て行くのを、私は随分引止めて居たのだが、彼女は「海と約束してゐるからどうしても夏休み中續けるのだ」と飽くまで言ひ張つて、祖母をお供に連れて出たが遂に遂にその宿命に倒れた。(太字部分=原文では傍点)

『千鳥遺稿』の日記の項には、もうひとつ「小雀日記」が収められています。

「かちみ(浜村の勝見)のふじたん」に貰った雀の子を大切に育てる様子が記されたもので、これも読ませます。飼っていた子雀は、日を経ずして亡くなりますが、小さきもの、弱いものに注ぐチドリのまなざし、その観察眼の確かさ・細やかさは天賦の才(生まれつきの資質)なのだ、とあらためて思います。(まさか「はかなくひ弱な子雀の姿その命運に我が身を重ねて見ている」とまで言うのは言い過ぎ・うがち過ぎだとしても、です。)「小雀日記」は、こう書かれて閉じられています。

しんだかわいい子雀は / 私のなくのが / わかつたか / しんで、なみだを / こぼしてる /    ( / 改行)

こんな、きねんの詩をつくつた。

これが、おさめ(最後の意)の子雀日記と申します。

【註記 表題は「小雀日記」なのですが、本文では「子雀」と表記されています。母・古代子の誤記かもしれません。】

こうして今、一世紀を越えて残されたチドリの「ことば」を読むと、「小雀日記」は辞世の日記のようにも感じられて不思議です。私たちがチドリを見つけようとしている以上に、チドリが私たちを見ている、そんな気がしてくるのです。

 

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

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