「日記」の後には、千鳥が書いた幾つかの「手紙」が載っています。「おとうちやん」は義父・涌島義博(巍伯)に宛てたもの。「おぢちやん」は、千鳥の叔父さん=母・古代子の弟の暢に宛てた二通。「誠チヤン」は「千鳥のいとこにあたる少年。一つ違いの年上で六歳から九歳の春まで俱に宅で起居し遊んだが、今は大サカに行った」友に送ったもの、二通。計 五通。
手紙というものは、どれも少し温かく、湿り気をおびたもの、そんな思いがあります。日記に比べて、送る相手・読み手が特定されているからでしょうか、とりわけ肉声が響いてくるようです。千鳥の自由詩が、時として鋭すぎるほどの冷たさ、容赦のなさを感じさせるのに比べ、手紙はなべてやさしくやわらかです。二人の間の距離や位置関係、間柄がそのまま伝わってきます。おとうちやんには「甘え」、おぢちやんには「信頼」誠チヤンには「親密」を感じます。いずれにも自分の意思をはっきり通す千鳥の姿勢の良さが匂います。間違いなく、背筋の伸びた素直で利発な娘だったことでしょう。
◆好きな一通
「誠ちやん、夏休にはあそびにきなさい。べんきようするのには、こちらがしずかでよくできます。誠ちやんのかほが見たいからおいでなさい。しやしんではちがいます。」(誠ちやんに出したてがみ 七月二十六日 八歳 )
◆そのまま一編の自由詩として掲げてもよさそうなものもあります。
アメアメフルナ / ムカウノウチノ / ヤセタアヒルガ / シヨボシヨボヌレル / ヌレテヨゴレテ / ベタベタアルク(オトウチヤンニダシタテガミ 七月一日 七歳)
◆自由詩「朝の月」が生まれる元となった朝の日課、おばあちやんとの浜辺の散歩の風景描写もあります。
まつ赤な、朝日が空一めんに、こうせんをひろげ、きれいなきれいな海には、朝日がうつり、山にはかすみがかかり、水と空がどつちがどつちだか、わからないやうになり、白濱が見江 四方八方がきれいです。(大山へ繪を描きに行つてゐた叔父ちやんに出したもの 八月二日 八歳)
「江んぴつ」をにぎってたのしそうに「原稿紙」に向かう千鳥の姿が浮かびます。