千鳥は耳の良い少女でした。
彼女の詩文からは様々な音が聞こえてきます。カジカ、ヒヨコ、スズムシ、雀・小雀、牛のこゑ、かへる、など身近な小動物、そして、フウリン、オテラノカネ、‥‥。どれも静かで幽かで、穏やかな響きです。その向こうには、カゼノオト、ナミノオト、アメノオトといった自然の音がいつも流れていました。「自然の音楽」はただやさしいだけではなかったようです。
数え年八歳の五月に「しぜんのおんがく」を書いています。
風のつよい夕方に / 母ちやんと山へ / お花とりにいつた / 山のおんがくは / おそろしかつた
同じ八歳の六月には「風」と題した作文も書きました。
母ちゃんと私と、うらの畠へ、豆を、ちぎりに出ました。そのうちに、大きな風がふきはじめました。よしやぶ(葭 薮)や、むかふの山が、おそろしい、おとを、たてるので私は、おそろしいのを、まぎらさうとおもつて、大きなこゑで、うたをうたつてゐましが、どうしても、こゝろはまぎれずにゐました。 とうとう、しんぼうが、できなくなつて、かけつてかへしました。
小動物や人にまつわるものとは異なり、自然は人の自由にはならないものなのだということをよく知っていました。
絶筆となった「けむり」(大正十三年八月八日 夕)
ばんかたの空に / ぽつぽと / き江てゆく / きしやのけむり
ここには汽車の音も汽笛もありません。けむりしかありません。けれども、どこかとおくに無音の音が鳴り響いているようで‥いつまでも 耳に残ります。千鳥の非凡、彼女の言葉は無音をも包み込んで、私たちに迫ります。