今の子供たちは空を見上げることがあるのでしょうか。スマホやゲームに夢中になってうつむいてばかりじゃないかと心配になります。都会では建物がますます高くなり、空はどんどん狭く小さくなっています。チドリの時代は、そうではありませんでした。浜辺のくらしは、大きな空の下にありました。季節によって、また一日の中でも、空は様々に表情を変えて拡がっていました。とりわけ朝夕の散歩を日課としていたチドリは、母と或いは祖母と毎日空を眺めて暮らしました。
『朝の月』は、代表作の一つです。
まだよのあけぬ / 白月よ / お星のおともを一人つれ / お月様はどこにゆく
朝日をおがんでかへりがけ / ちらりと空を見上げたら / お月様は しらぬまに / お星と いつしよにき江てゐた / 月のゆくへは わからない
冒頭と末尾は、白月、月と飾りなく距離を置いて眺め、中間は「お月様」「お星」と親しみを込めて呼びかけ、最後は再び「月」と客観視し手の届かない存在として認める意識の流れ、それは巧まざる無意識として我々を導きます。
この詩のあとに、母・古代子は註を寄せています。「朝、と云つても星の澄み渡つた四時頃、彼女は祖母を強請つて砂丘の彼方五六町の渚へあそびに出た。歸るとすぐまた寢てゐる私達の枕元に來て、「濱のおみやげ」だといつて書いて見せた。」(一町は109mなので、五六町は545~654mにあたります。)
山陰の文学者について多く書いてきた上村武男さんは千鳥の評論集『千鳥 月光に顕(た)つ少女』の中でこう書きました。「この詩をわたしはこのあいだ、兵庫県阪神シニアカレッジというところの「自分史」講座で朗読をした。そして、ゆつくりとした口調で読んでいき、最後の二行目から一行目に移る間合いに、ちょっと声がつまって落涙しそうになった。自分でもなぜだかわけが分からない。こんな経験ははじめてだった。「月のゆくえはわからない、か」と思ったとたん、わたしは胸の思いがあふれた。千鳥の歳からは五十年も生き延びた私であるのに、見知らぬ七歳の女の子に、月のゆくえはわからないと言われてしまえば、わたしの側に、それに備えるべき、なんの準備があるだろうか。」
目にした光景をそのままことばにする、千鳥がしているのはそれだけのことです。なにも特別なことではありません。描かれるのは誰もが目にするありふれた景色です。それが読み手の前に拡がり、胸に刻まれていきます。
昭和の詩人清岡卓行さんの『日常』という詩集に「風景」と題した詩があります。その第一連。「あなたは生きている / と 単にそう言われただけで / あなたの自由はいらだつ。 / ぼくは 風景などに / まるで興味はなかったのに / 二人でプラットフォームから眺めた / あの ありきたりの / 猫の子一匹いない 鉄材置場は / なぜぼくの眼に そんなにもしみたのか?」
ありふれた奇跡。『朝の月』は、文学の奥行き、言葉の力を示す”一級品”です。