久しぶりに、千鳥のふるさと・鳥取県気高町に出掛けてきました。千鳥第一使徒を名乗る当ブログの管理人は、74歳のロートルですが、地元鳥取には、世代を超えて千鳥の詩文を読み続ける人たちがいます。そのうちの何人かと会いました。「torinoie」さんは、詩や小説を書きながら、ひとり出版社「ジョバンニ書店」を立ち上げた37歳、Nさんは、大学に通う20歳の青年です。それぞれに深く千鳥の詩に向き合い、その世界を生きています。Nさんは、最近 大学のテーマ課題に「田中千鳥」を採り上げ、長文の研究レポートを発表しました。あれこれ話す中、同じ時代、山陰の海辺に生きた金子みすゞの話題が出ました。26歳で他界したみすゞは、生涯520篇あまりの詩や童話・童謡を書きました。比べて、7歳半で亡くなるまでに千鳥が遺したのは40篇の詩とわずかな日記・作文・童話だけでした。あまりに早すぎた生と死。歴史に “if” は禁物です。もし千鳥がも少し生き永らえていたなら‥、長じてどんな詩を綴りどんな文学者になったことだろう‥。早世は残念。夭逝は弱味だ。そう嘆いてきた第一使徒に向かって、第二使徒「torinoie」さんが言いました。「いやいや、夭逝はむしろ強味じゃないのでしょうか。みすゞの詩文は、文学者としての意図・狙いがハッキリしていて意味が完成している。そこでの理解・鑑賞の幅は限定される。たいして千鳥の詩文は原石のまま ゴロンと目の前に置かれ、静かに拡がっているだけです。読者には、想像の幅を広げて解釈する自由がある。それこそ今の時代に盛んな二次創作・スピンオフ・スピンアウトが可能なポテンシャルを秘めているのではないでしょうか」目からウロコでした。これまで、遺された作品数の少なさ・早世を嘆くばかりでしたが、確かに、文学は読み手次第、どう読み受け止めながら、発展・展開させていくのか、その可能性は大きい、との指摘は素敵でした。今回の鳥取行き第一のお土産・成果でした。
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