田中千鳥プロフィール
田中千鳥が生きた大正時代は、偉大なる明治と激動の昭和の狭間にひっそり佇む、〈小さな〉時代です。
あまり目立たず、ともすれば忘れられがちな時代です。
けれど、大正デモクラシー、労働運動、女性解放運動、部落解放運動などが生まれた時代でもありました。
新聞が普及しラジオ放送が始まったのもこの頃です。
メディア時代のスタート‥。
今あらためて 〈小さな〉時代の〈小さな〉声に耳を傾けたいと思います。
田中チドリ(千鳥) 略年表
1917年(大正6年)3月 誕生
鳥取県気高郡正条村浜村に父・安治博道と母・田中古代子の長女として生まれる。
両親の不仲から、母に連れられて実家に戻り、育つ。
1922年(大正11年)11月 満5歳
詩作(自由詩)を始める。
1923年(大正12年)4月 満6歳
地元の尋常小学校に入学。病弱で夏休み明けから六十余日肺炎を病む。 結局二学期中は登校出来ず、自宅で療育生活を送る。
1924年(大正13年)8月18日 満7歳
他界。死因は定かではないが、肺炎だったよう。
死を悼んで母古代子は『千鳥遺稿』を作る。
死の直前まで綴り続けた自由詩40編はじめ、作文7編、なつやすみ日記大正十二年14編、 大正十三年5編、小雀日記6編、手紙5編、お話2編などが残された。
田中(涌島)古代子 略年表
1897年(明治30年)3月 誕生
鳥取県気高郡逢坂村大字郡家村に父・田中石蔵・クニの長女として生まれる。
1914年(大正4年)9月 18歳
県下初の女性記者として山陰日日新聞社に入社。当時の〝新しい女〟を代表するひとりとなり活動。
1917年(大正6年)3月 20歳
長女チドリを出産。
1918年(大正7年)11月 21歳
夫・安治博道との離婚が成立。
1919年(大正8年)12月 22歳
小説『実らぬ畑』が大阪朝日新聞社創立四十年記念懸賞小説選外佳作となる。 因みに一等入選は吉屋信子。
1921年(大正10年)6月 24歳
後に再婚する涌島義博と同棲生活を始める。
1924年(大正13年)8月 27歳
長女チドリ死去。『千鳥遺稿』を出版。
12月に涌島義博とともに上京。
1927年(昭和2年)5月 30歳
涌島義博と正式に結婚。9月に長女 真茅生を出産。
1929年(昭和4年)5月 32歳
次女 李々子を出産。
1932年(昭和7年) 35歳
鳥取に帰郷。
1935年(昭和10年)4月 38歳
鳥取の自宅にて睡眠薬を多量に飲み、死去。