月の沙漠は、1923年(大正12年)大日本雄弁会講談社(現 講談社)の雑誌「少女倶楽部」3月号に発表されました。挿画とともに加藤まさをが詩を書きました。加藤まさをは、当時 竹下夢二や蕗谷虹児とともに「抒情画三羽烏」とよばれる人気画家でした。その頃、田中千鳥は満六歳。もしかしたら母・古代子が買い与えた雑誌で読んでいた可能性もあります。
月の沙漠(さばく)を はるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました
金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐(ひも)で結んでありました
さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました
曠(ひろ)い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと
沙丘を越えて行(ゆ)きました
黙って 越えて行きました
「沙漠」「駱駝」「王子様」「お姫様」‥‥日本離れしたエキゾチックな情景にひかれた佐々木すぐるがすぐに曲をつくります。最初はガリ版刷りの音楽教育の教本として教員たちの間に広まりました。やがてラジオ放送されて評判となり、その後レコード化されるに至って、全国区になりました。
ウイキペディアに拠れば、後年 加藤は朝日新聞本田勝一記者のインタビューに応えて「『少女倶楽部』から“何でもいいから”と注文されただけですよ。ぼくは沙漠どころか、外国へはどこも出たことはないけれど、沙漠にはなんとなくあこがれがありましてね。沙漠の歌でも、って気になったんです。」と語ったそうです。まったくの想像の産物だったようです。けれどまぐれでも偶然でもありません。そこには表現者としてゆずれないイメージ・強い意志が見られます。横田憲一郎『教科書から消えた唱歌・童謡』(産経新聞社 刊 2002年)に、こんなエピソードが載っています。「加藤まさをは、「沙漠」という文字にこだわり、「砂漠」と書かれることをきらった。乾いた固いものを連想させる石偏[石]ではなく、潤ったイメージのさんずい偏[氵]でなければならなかった。」すぐれた表現には、確固とした揺るぎなさが(気付かぬ深さに)しっかり刻まれているのです。
おぼろ、月、湿り気を帯び潤ったイメージ、‥‥筆者は、これらにどこか千鳥の詩の言葉に近しいものを感じます。千鳥もまたきっと遥か彼方へと「黙って 越えて行った」表現者の一人でした。