千鳥にまつわる音曲も昔々からたくさん作られてきました。YouTubeをのぞくと多数 出て来ます。
吉沢検校(二世)作曲の謡曲『千鳥の曲』は、箏(こと)と胡弓のために幕末に作られた近世邦楽の代表作の一つです。 地歌には、『磯千鳥(菊岡検校 作曲)』『川千鳥(幾山検校 作曲)』『友千鳥(久村検校 作曲)』などがあります。
琉球舞踊の『浜千鳥(チジュジャー cizujaa )』は1895年ごろ那覇の芝居小屋で生まれました。豪華衣装の古典的宮廷舞踊ではなく、庶民が紺地の絣(かすり)や芭蕉布の着物をまとい,素足で踊ることもある民衆の雑踊です。琉球舞踊の登竜門的な曲として親しまれ、数多くの舞踊家、地謡(演奏家)のよって演じられてきました。沖縄には他に『辻千鳥(チージチジュジャー cijicizujaa )』『下千鳥(サギチジュジャー sagichijuyaa サゲチジュジャー sagecizujaa とも )』(登川誠仁 作詞 作曲)などがあります。作詞は演者や場面によって変わるようです。戦後沖縄の平和を願って作られたものは、沖縄民謡歌手嘉手苅林昌の十八番だったといわれています。
千鳥楽曲は、ハワイにもあります。『別れの磯千鳥』は、ハワイ松竹楽団のフランシス・ザナミ(座波 表記も)作曲の日本調歌謡曲・流行歌です。のちには近江俊郎や美空ひばりもレコードに吹き込んでいます。
映画の世界では、『目ン無い千鳥』が有名でしょう。(サトウハチロー 作詞 古賀政男 作曲 歌ったのは霧島昇とミス・コロンビア)1940年山田五十鈴主演の東宝映画「新妻鏡」の主題歌でした。A面は「新妻鏡」でしたが、映画内で挿入歌として効果的に使われたためA面よりもヒットし知られるようになりました。ただ、この曲は題名ゆえか永らく「放送禁止歌」のひとつに挙げられています。もっともYouTubeにはアップされているので視聴できます。もう一本1951年大映映画「母千鳥」には『母千鳥の唄』『小夜ちどり』の曲が作られました。「千鳥」が昭和の時代までどれだけ広く親しまれ、愛されてきたのかがよく分かります。
しかし、「千鳥」の音楽といえば、今一番に浮かぶ楽曲はなんといっても〈童謡〉でしょう。なかでは『浜千鳥』(鹿嶋鳴秋 作詞 弘田龍太郎 作曲)や『ちんちん千鳥』(北原白秋 作詞 近衛秀麿 作曲)が有名です。「浜千鳥」は1919年に詩が作られ、翌1920年、弘田龍太郎によって曲がつけられて雑誌「少女号」に掲載されました。弘田龍太郎は「靴が鳴る」「春よ来い」「金魚の昼寝」等、数々の童謡を作曲している音楽家です。その刺激もあったのか、翌1921年、雑誌「赤い鳥」に発表された北原白秋の詩に、近衛秀麿や成田為三、宮原禎次らが同じ詩に競って曲をつけて「ちんちん千鳥」が出来ました。(今に残るのは近衛版です)いずれも、千鳥が生きた大正年間に出来ました。大正時代は、児童文学が登場しや童謡が盛んに作られた時代です。不思議な符合を感じます。
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