児童雑誌『赤い鳥』が創刊されたのは、1918(大正7)年、チドリ一歳のときでした。六歳になる頃から愛読していたようです。童話、童謡、自由詩、自由画、綴り方、科学読み物などが載る月刊誌を毎月楽しみにしていた様子を母古代子が綴っています。
「昨年の夏頃から「赤い鳥」を手にしてゐたが、今年の三月頃からスラスラと、よく讀めるやうになつて、毎月、祖母に讀朗して聞かせるのが唯一の遊びであり、また得意でもあつた。對話の個所なんかは、上手く調子つけて對話らしく讀んだものだつた。「赤い鳥」が來ると、いつでも學校を休みたがつたものだ。雨の日など、私の眞似をして寝ころんで、ヂッと黙讀してゐる様子には、いつもほゝえまされてゐた。」【『千鳥遺稿』編纂後記より】
『赤い鳥』の編集兼発行人は鈴木三重吉です。三重吉は、1901年 第三高等学校を卒業し、当時、夏目漱石が教鞭を執っていた東京帝国大学の英文学科に入学します。文壇デビュー作は、何とその名も「千鳥」という短編小説でした。「千鳥」は『ホトトギス』1906(明治39)年5月号に掲載され「僕名作を得たり」という漱石の賛辞を得ました。今、青空文庫ですぐに読めます。⇒ 青空文庫:鈴木三重吉「千鳥」
紙の本なら、岩波文庫をどうぞ。