百年であらゆるものが様変わりした中、一番変わったのは流通・運輸と通信・放送メディアでしょう。貨物輸送は近代と共に海運から鉄道へと変わりました。今は自動車輸送が全盛ですが、百年前は鉄道貨物が中心でした。
千鳥の育った鳥取県浜村駅は、1907(M40)官設鉄道としての開業と同時に客貨取扱を開始しました。千鳥の祖父 田中石蔵は開業と同時に公認運送店の許可を取り、駅前で運送業を始めます。
屋号は「笹乃家」、鉄道で運ばれてきた貨物を家庭や事業所・商店などに届ける仕事です。きっと当時の最先端、花形事業だったことでしょう。十人ほどの従業員を雇い盛業だったという記録が残っています。1912年(T1)には海産物問屋も始めたようです。時代は馬車から自動車トラックへ、1917(T6)には国産初の運送トラックTGE-A型が登場します。
ドアツードアではありません。積み替え、乗り換え、時間も手間もかかりました。けど、思えば令和の今も似たようなものかもしれません。コロナ禍でのエッセンシャルワーカーの一員、物流荷役の末端で動き、働くのは人間です。あらためて「時代はくだって、数えきれぬほどの利便の増加を見たが、利便さゆえに人間が賢明になったという証拠はどこにも発見できない。」という言葉を振り返ってみたくなります。