お母上が残してくれた『千鳥遺稿』のお陰で、一世紀後の今も私たちは千鳥さんのことばを読むことができます。伝道師の力不足で残念ながらまだまだ、自慢できるほど沢山の読者には出会えてはいませんが、少しずつですが拡がっているのは確かです。
「ことば」の力は不思議です。人間がことばを使うようになったのは何故なのか、何が始まりなのかについては諸説があります。シグナル・ジェスチャー・コミュニケーション・何かを伝えるためという説もあれば、イギリスの人類学者・進化生物学者のロビン・ダンパーさんのように「楽にできて非常に能率的な毛づくろい」―「声での毛づくろい」から生まれたと主張する人もいます。身近な役割から生まれたことばは、音・声から文字・書記を経て、大きく時空を超えて広がって今に至ります。ことばは、発せられた瞬間に、話者や書き手の元を離れます。そして、受け手・読み手と出会います。その時、ことばは、書き手の元にも、読み手の元にも無く、「あいだ(間)」に置かれます。そこでは、書き手と読み手という個人は溶け出し、両者の間に「ことば」だけが浮かび、両者を繋ぎます。
「ことば」の力は凄いです。とりわけ「文学のことば」は「イマココ」を超える力を秘めて生き続けます。イマココを超えた「文学のことば」には、書き手はもとより、読み手・受け手にとって、閉じられた狭い空間から自らを連れ出し、解き放っていく解放感・自在感が潜んでいます。今回のアイキャッチ画像は、そんな「言葉之薬」袋です。薬としてのことば。ことばを発し、それを受けとめることの底には、イマココに縛られてある個の肉体から抜け出し、溶けださせる快感・高揚感があります。そんな言葉の万能に出会いたくて、人は読書するのです。ちどりさんの言葉に接すると、いつもそんなワクワク感・喜びをおすそ分けしてもらっているようでウキウキしてくるのはこの力です。。あらたまって言うのも何ですが‥千鳥さんが書き残した「ことば」に御礼をいいたくなりました。
こちらはもうすぐ年が改まります。そちらの時間の流れは分かりませんが、末永い交情・交歓を願います。(続く)