その昔、オモテ日本・ウラ日本という言葉がありました。表日本は太平洋側を示し、裏日本は日本海側をあらわす自然地理用語でした。どこのどなたの発案か、何時頃からかマスメディアでは、これらの呼称は使われなくなりました。後進性・低開発性を感じさせ 格差を助長し 不快感を抱かせる懸念アリ、という配慮からでしょうか。イメージが悪いと姿を消しました。
とはいえ、ウラとオモテ、光と影、陰と陽、‥ 凸と凹 ‥‥ そもそもはどちらが上位でどちらが下級ということではなかったはずです。コインにウラとオモテがあるようにあらゆるものにはウラとオモテがあります。表裏一体、裏あっての表。表だけでは薄っぺらで ひ弱です。裏打ち、裏取り、裏付けのないものは危険です。本来は悪い意味を持たなかったウラが、うわべ重視の格差是正・上っ面だけの平等主義で消されてしまったようで残念です。表舞台から退場し、裏街道を行く日陰の身。(裏日本の絶滅を念じた方は、山陽・山陰も廃棄したかったのかもしれません。実際、山陰を北陽=「北の日の当たる場所」と呼び変えようという提案もなされたようです。
何時の時代も、声の大きいものが幅を利かせます。しかし、一番小さな声に耳を傾け、それをすくい上げるのが文学の役割だと思うのです。田中千鳥はウラ日本、山陰の寒村に生きた少女です。今一度、ウラ・内面・内心を照らす千鳥の言葉を輝かせてみたいものです。
ウラもオモテも‥‥優劣・上下ではなく左右として、垂直:ヴァーティカルから水平:ホリゾンタルへ、タテからヨコへ、フラットな横並びへ、並立・共存の時代へ そんな明日が来るといいナ。