このところ読んだ本に立て続けに宮澤賢治『春と修羅』の序文が引用されていて驚きました。或る美術家の回顧展カタログ、人気作家の推理小説シリーズ文庫本、記号論学者の講義本、‥‥。
わたくしといふ現象は / 仮定された有機交流電燈の / ひとつの青い照明です / (あらゆる透明な幽霊の複合体) / 風景はみんなといっしょに / せはしくせはしく明滅しながら / いかにもたしかにともりつづける / 因果交流電燈の / ひとつの青い照明です / (ひかりはたもち その電燈は失はれ)
たしかに情動を刺激する文章です。ちっとも古くありません。電子メディアが普及した21世紀の現在にも十分に通用します。
ウイキペディアには、こんな記載があります。「1924年(大正13年)4月20日『心象スケツチ 春と修羅』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月にダダイストの辻潤が『讀賣新聞』に連載していたエッセイで紹介。詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた。中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。」
不穏当で恐縮ですが、「盲千人 目明き千人」という言葉が浮かびます。ウイキには賢治5歳、トシ3歳の写真も載っています。
また「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。」後年 小学校時代の担任先生に語ったというエピソードも残っています。
田中千鳥は『春と修羅』が刊行された同じ年1924年に他界しています。したがって読んではいません。ただ、ふたりの詩には、同じ硬度・硬質を感じます。べたつかない湿度・光度輝度・乾いた質感、平明・平易なのに深い奥行きには通じるものがあります。時代なのか、天分なのか、それは分かりませんが‥‥
(その電燈は失はれ)も、時空を超えて(ひかりはたもち)つづけるものなのです。