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千鳥の世界

背反有理 初めてなのに

初めてなのに 懐かしい〉〈知らないのに 憶えてる〉千鳥の詩を読むと、いつもそんな印象に駆られます。

それは「失われた近代日本の原風景」「身近だった故郷・田園への愛惜」といった射程にとどまるものではありません。‥‥、それよりもずっとずっと昔、もっともっと遠く、太古の頃、人類がどこかの浜辺に暮らし始めた原初の記憶、日々の暮らし・人間の営みの始まりに呼応する何か=人が生きることを後ろから押してくる何かに突き動かされているような何か=原始的な生理の切迫や情景への共鳴・共感のようなもの、といえば少しは伝わるでしょうか。たとえば、この詩

ナミ

ビヨウキノアサ / ハヤク メガサメテミレバ / ナミノオトガ / シヅカ二シヅカ二 / キコエテクル

早朝 寝床かどこかで静かに繰り返す波の音を聞いている情景がすぐに浮かびます。千鳥の来歴を知れば、近代の半ば・大正時代の日本海に面した田舎で、病弱な少女が自身の実体験を描写・写生しているのだ と理解は進みます。だがしかし、それだけでしょうか。彼女が耳にしているのは波のリズムです。それは、何万年も何十万年も以前の太古から繰り返されてきた遥か悠久の地球のリズムです。彼女の詩には、千鳥が生きた大正時代や近代社会・村や家族という枠組み・限定を超えた時空が拡がっています。果てしない広さ・深さを孕んだ時空。「ちょっと大袈裟過ぎる、僅か七歳の少女にそんな深さの感受がある筈はない」そんな批判もきっとあることでしょう。けれど、文学のことばは不思議で豊かです。書き手を超えて、読み手をどこまでも誘う力を持っています。この詩には、人が生きることの根っ子にある無常観・寂寥感寂しさが漂います。さらに、それを諦観し、自然との親和を静かに受けとめている千鳥の姿が浮かび、打たれます。

古めかしくって新鮮〉〈遠く離れているのに 親しい(近しい)〉〈遠くからすぐそばで

そんな、言葉も浮かんできます。悠久・不朽・普遍(不変)‥‥千鳥の詩が時空を超えて生き続けていくであろう「未来」を予感します。

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

背反有理 小さすぎて‥

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