雨の日が好きだった千鳥は、雨の詩をいくつも書いています。
「雨と木のは」
こぼれるやうな / 雨がふる / 木のは と雨が / なんだかはなしを / するやうだ / 山もたんぼも雨ばかり / びつしよりぬれて / うれしさう (八歳)四月
「雨の日」
のも 山も / きり雨につゝまれ / 山のねの / なの花畠 / 雨にぬれ / かへるは / ころころ / ないてゐる (八歳)四月
呼応する《谷川詩集》は、「このまま」(部分)
誰が言うのか / そのままでいいと / このままの私に / 木の声で / 雨の囁(ささや)きで
言葉を手放して / 身近な音を / 聞く / 哀しみは / 哀しみのまま
病弱だった千鳥、座敷の布団に臥して雨の音を聴く千鳥。彼女は生のかそけさ(幽さ)、はかなさ(儚さ)を、「哀しみは 哀しみのまま」感受していたようです。