千鳥は、感受性の鋭いただのいたいけな少女というわけではありません。たとえば、こんな詩。
「雨の日」
雨のふる日に とんできた / かわいいかわいい子雀は / おにはで 江さを さがしてる / ぬれた雀に 江さやれば / 雀は ぱつと / かげもなくとぶ
最終 二行 「 雀は ぱつと / かげもなくとぶ 」には、千鳥が抱える暗部=闇の深さが窺えます。あるいは、この詩。
「空」
青空を / でんしんばしらの / はりがねが / すっときつている 空をきつたはりがねに / 雀がとまってうれしさうに / ちゅんちゅんと / ないてゐる
「でんしんばしらのはりがね」が 「空」を「すっときつている」という視点。
また、この詩。
「オ月サマ」
オ月サマハ / キイラキラ / オホシサマハ / ピイカピカ / クモハチツトモ / ヒカリマセン
最終 二行 「 クモハチツトモ / ヒカリマセン 」
さらに、月を詠った代表作。
「朝の月」
まだよのあけぬ / 白月よ / お星のおともを一人つれ / お月様はどこにゆく 朝日をおがんでかへりがけ / ちらりと空を見上げたら / お月様は しらぬまに / お星と いっしょにき江てゐた / 月のゆくへは わからない
光の中に同時に闇までを見てしまう鋭利、多感、過多・過剰。向日性の奥にひそむ背日性。「明るく暗い」「暗く輝く」「夢見ながらの覚醒」「安寧の奥の不安」「平穏にひそむ寂寥」そんな言葉がいくつも浮かびます。さらに惹かれるのは、「つくらないでつくる」千鳥の技巧・表現技術のゆるぎなさです。「ゆるぎなくありながらの平明・平易、そのやわらかさ」には脱帽です。その怖さ・恐さ・強さは、もっと知られてもいい筈です。「凡非凡」「なんでもないのにとんでもない」
千鳥の詩文は間違いなく「ありふれた奇跡」のひとつです。