今に残る田中千鳥の画像は『千鳥遺稿』冒頭に載る「面影」一枚だけです。
(以前にもう一枚 地元の新聞に「写真」が掲載されたことがありましたが、どうやら間違い、母親・田中古代子の少女時代のものだったというのが定説になっているようです。)
今の時代と異なって、「写真」は極めて少なく、ハレの日の貴重なものでした。写真より前は絵画でした。何時の時代にあっても少女というモチーフは人々の情動を刺激し、様々な表現で残されてきました。たった一枚遺された千鳥の「面影」を起点に、しばらく「少女像」に託されたあれこれ、少女像に触発される想いのいくつかをシリーズで綴っていきたいと思います。その第一回、採り上げるのは岸田劉生の「麗子像」です。
岸田劉生は、生涯にわたり70点以上の麗子像を描きました。
麗子は1914(大正3)年生まれ、千鳥より三歳年上のお姉さんです。