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千鳥の世界

千鳥詩に触れて⑥ なび〈いい湯加減〉

社会起業家の冨田一幸さんは、大阪・西成に株式会社NICEを立ち上げ、様々な事業・活動を展開しています。2007年1月 月刊の地域情報誌『なび』を創刊、以来毎号欠かさず「いい湯加減」と題したコラムを連載してきました。普段は政治や社会問題を扱うことが多いのですが、Vol.143.2019年1月には、こんな一文が掲載されました。冨田さんと「なび」編集部の許可をいただいて、全文 転載します。

『千鳥百年』を知った 【月刊なび 2019年1月発行 143号より】

キノハノヲチタ カキノキニ
オツキサマガナリマシタ    

お寺でひろつた おちつばき
あんまりきれいで 母ちゃんの
おみやに つないでかへつた

短いのに何とも深い自由詩だ。この詩の作者は田中千鳥、山陰地方で大正年間を生き、7歳で逝った。5歳で詩を習い、わずか2年の間に80編を詠み、母が『千鳥遺稿』として残した。その存在を知る人は僅かだったが、『未来世紀ニシナリ』を撮ってくれた田中幸夫監督が『千鳥百年』という映像にした。それでボクも千鳥を知った。言葉が映像になれるのかなと疑問だが、田中監督は「記憶映画」にしたと言ってるから期待したい。表題に「一日は長い、一年は短い、一生はもっと短い」と記したのは、旧知の山田哲夫さんかな?唸らせる。
 ボクの記憶に障害を持つわが娘の保育所時代が蘇った。その頃集団に溶け込みにくかった娘は「足のこといわれると、言葉ひっこむねん」と呟いた。何とも短いが深い言葉としてずっとボクの記憶に残っている。自由詩というのは何にもとらわれず感じたままを言葉にするのだが、そこに現れる空白が魅力的だ。障害を持って社会に加わったばかりの娘と友達の間には、まだ先入観のない広い空白があったのだろう。それを想像すると胸が詰まったが有意義でもあった。幼い千鳥の療養生活もまたそうだったのか。いっぱいの想像を巡らし言葉にする千鳥の「1日は長く」有意義で、彼女は短い時空を駆けた。
 千鳥の生きた大正年間は、千鳥の人生と同じように短い。明治と昭和に挟まれて忘れ去られそうなほどだ。しかし、この時代にかの水平社も駆けた。様々な社会運動も芽生えた。まだいっぱいあった空白に夢を描けた時代だったのかも。ボクの知識が浅薄かもしれないが、日本の自由詩も大正の頃に登場したはずだから、幼くとも千鳥は先駆だったことになる。先駆の千鳥の見たオツキサマが、我が先駆の水平社が見た人の世の光と重なる。
 卑近な話だが、政治や社会運動の文言に自由詩はなく、比喩すれば「七五調」になる、形式に流れる。その分空白がない。だから「保育所落ちた、日本死ね」なんて呟きにも目くじら立てた。障害者雇用改竄でも「移民法」でも想像力が乏しい。ボクは法定雇用率に代わる「共生雇用」や、外国人の参政権を想像する。間もなく選挙のシーズンになるが、自由詩のように政治や社会課題も謳ってみたいものだと思う。
 ボクがこの拙文を映像を観ないまま書いてるのは、ネタに困ったからではない、とてもワクワクしてるからだ。近いうち『千鳥百年』の上映会をやってみたい。

株式会社ナイス
冨田 一幸

 
【冨田さんのこと 株式会社NICEのこと 月刊誌なびのことはコチラ】

 

 

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

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