「無題(カキノキ)」は、5歳の千鳥がはじめて書いた詩です。
キノハノ ヲチタ / カキノキニ / オツキサマガ / ナリマシタ(實(な)りましたの意)
季節は秋、時刻はたそがれか も少し後か。東の空に望月かそれに近い丸い月が、葉を落とした柿の木の奥に昇り、それが柿の実のようにみえました‥‥目にした景色を見たままに述べた叙景詩です。何の細工もない素直な表現。月を柿の実になぞらえた「見立て」は、技法としては「暗喩(隠喩)」に分類されるのだろうが、比喩である以前に、言葉を紡ぐよろこび・楽しさが初々しく伝わってきます。
わずか二十三音で綴られた短詩。
千鳥の詩文に逸早く注目した詩人・星清彦さんは「夭折の詩人鳥取の少女詩人田中千鳥について(上)」にこう書いています。「短詩だからいけないというものでもありません。春山行夫は「アマチュアは短詩は書けない」と言っており、短いことが悪いことではないと断言しています。そしてこの千鳥の作品群の内容は非常に透明で、確かに行数以上の感慨を持つものが多く、大変満足のいくものでした。」【月間文芸誌「かぶらはん(鏑畔)」2007年5月 所収】行数以上の感慨、確かにそうですが、そこには舌足らずな拙さ、幼さはみじんもありません。千鳥が描き出した世界は、くっきりはっきり目の目に現れて揺るぎなく粒立ち、過不足なく完結しています。その意味では、チドリは最初から「アマチュア」でなく「プロ」の完成度を持っていたと言うことも出来そうです。
「大正期 子供たちはひらがな以前にカタカナから習い始めた」という歴史的事実・時代背景、カタカナとひらがなで目にする図像印象の違い、コノハ でなくキノハ としたことによる i音 o音の音韻印象の違いなどなど、語るべきことはまだまだありますが、以下暫らく、千鳥が遺した詩をひとつひとつ丁寧に読んでいきます。お付き合い願います。