So What? だから 何 それがどうした、そう云われてしまえばオシマイですが、千鳥が生まれた1917年(大正6年)生まれの人物が気になって仕方がありません。ジョン・F・ケネディ、山田五十鈴などこれまでも何人も採り上げてきました。(詳しくはコチラ ⇒ 1917年生まれ )
今回は中から長沢節さんを採り上げます。日本のファッション・イラストレーターの草分けの一人です。
ウイキペディアに拠れば、「戦前、軍事教練ををボイコットした為、東京美術学校(東京芸大)への受験資格を失い、文化学院 入学」戦前、戦後を通じて、服飾文化・ファッションデザインの世界で活動。戦後まもなく「スカートをはいて銀座を歩き」1964年には「男女のペアが同じスカート・衣装で揃えるというモノセックス・ショー」を開催しました。セツ・モードセミナー(節スタイル画教室を改称)を創り、幾多の後進を育てました。
中原淳一、三島由紀夫らに愛され、『弱いから、好き。』『あいまいな色が好き。セツのおしゃれノート』などの本も遺しています。1999年6月 自転車の転倒事故による脳挫傷で亡くなります。82歳でした。今思えば、〈早すぎた人物のひとり〉だったのでしょう。
歴史にタラレバは禁物ですが、if 長沢と同世代の千鳥がもし生き残っていたとしたなら、いったいどんな文学を遺し、どんな人生を生きたことでしょう。