「しぜんのおんがく」と題された詩。
「風のつよい夕方に / 母ちやんと山へ / お花とりにいつた / 山のおんがくは / おそろしかつた」
そして、チドリが遺した最後の詩「けむり」。
「ばんかたの空に / ぽつぽと / き江てゆく / きしやのけむり」
ばんかたの空に、はかなく「き江てゆく」けむりが謳わて、それとともに、千鳥は姿を消します。遠ざかる汽車の汽笛もやがて消え、残るのは静寂だけです。
今日八月十八日は、チドリの命日です。
九十五年前のこの日、田中千鳥は他界しました。死を表わす日本語は沢山あります。永眠、長逝、入滅、‥‥、鬼籍、昇天、泉下、‥‥、遷化、薨去、‥‥、何十何百とある中で、千鳥にふさわしい言葉は何だろうかと考えました。浮かんだ言葉は、「帰天」でした。この世に遣わされた小さきものは、つかの間の時間を生きて静かに去りました。早世、夭折、という言葉がすぐに出てきますが、千鳥の一生は、欠けたところのない十全なものだったのではなかろうか、そんな思いにも駆られます。
絶筆「けむり」は、見事な完結・エンドマークです。
映画『千鳥百年』の惹句(コピー)には「一日は長い 一年は短い 一生はもっと短い」と掲げました。千鳥の一生は確かに短いものでした。しかし、人生は長さじゃない。チドリは短い命をまっとうに行き、人生をまっとうしたのだと強く思います。チドリの異父妹松岡李々子さんは『千鳥遺稿』復刻版の冒頭にこう書いています。
「現在、書くことに優れた子供たちは沢山いますが、この気高町にも、昔このような詩や日記を書く子がいた。しかも僅か八才で彗星のように消えたと云うことをあらためて知って頂けたら嬉しいと思います。」
彗星にように‥‥確かにその通りです。けれど命日のこの日、千鳥にさらに別の新しい言葉を贈りたいと思います。
全力疾走者。
千鳥はフルパワーで走り抜けた稀有な人でした。それもスピードを感じさせないさわやかさで、鋭く柔らかくやさしく、駆け抜けました。その根っこにあるのは、人が生きることの底にある「寂しさ」でしょう。その寂しさに共鳴する人がいる限り、千鳥の言葉は生き続けます。合掌。