チドリには二人の叔父が居ました。田中 卓(享年15)田中 暢(享年27)いずれも古代子の弟です。卓は、作文「すなにうづめた雪」で「にいちやん」と親しまれて登場し、暢は繪を描く「おぢちやん」として宛てた手紙が残されました。暢もまた、チドリの〈才走り〉を感受していたことは、暢が書いた「お互の玩具」を読めばよく分かります。
「病的にデリケートな感情を多量に持ち往々家中のものを喜ばせ涙ぐませてゐた癖に、一方に病的な我儘を持つてゐた。」「死の前の三四ケ月と云ふものは、凡ての人のみならずあらゆる物象に異常な懐しみを抱いゐた様に思はれる。殊に、自然の風景や地上の物音の感受性は全く鋭く冴えてゐた。 野原を凝視しては花の心を歌ひ、空を凝視しては一生懸命になって雲を描いた。そうした意味で、彼の女は、哲學的に云つても藝術的に云つてもある霊的なものを穫得していたと云つても決して過言ではなからう。」‥‥「寧ろ短命は彼の女にとつて幸福だつたとも云へよう。」暢の文章はそう結ばれています。
生誕百年を記念して作った映画『千鳥百年』には「一日は長い 一年は短い 一生はもっと短い 」というフレーズを使いました。長いとは言えない千鳥の一生、しかし、彼女が残した言葉は世紀を超えて残り続けています。そう考えると、人の一生とは、長さで測れるものではないのでしょう。決して、絶対に。