知らないのに 知っている
初めてなのに 懐かしい
遠くから すぐそばで
小さくて 大きな力
チドリは古くて 新しい
このブログでは、田中千鳥の詩の世界に触発されて生まれた様々な声・言葉を発信していきます。
冊子「海鳴り」の上村武男さんの評論で、『千鳥遺稿』のことを知った私は、早速『千鳥遺稿』の復刻版(気高町教育委員会・文化協会刊、非売品)を送っていただき一気に読みました。
(今そのすべては、このウエブサイトの「作品集」で読めます。ぜひご覧ください!)
以来十余年‥ことあるごとに読み返し 今に至ります。
読後感は、先の上村さんの論考に尽きています。上村さんの許諾を得て、ここに引用します。
「千鳥の詩は、読めば読むほど、余白が広い。それは、幼くて、言い足りないところがたくさんあるという意味ではない。無限のように余白が広い。それは、いいかえれば、とつぜん堕(お)ち込んだような余韻の深さだ。」
「死者のいる場所まで届く言葉、それがほんとうの言葉だ。死者を胸に抱いて生きる者の言葉が、この世でいちばん遠くまで届く言葉だ。千鳥の言葉は死を抱き、死を視ている、とわたしには思え、だからほんとうの言葉の力をもっているように思うのである。人は死ぬのである。だが、その死といっしょにほろびるような言葉はすべていやしい。千鳥の遺した言葉は、極度の早世がそれを可能にしたものともいえようが、天与のように、いやしいところがすこしもない。わたしは六歳や七歳の千鳥に教えられているのだ。」
【引用はすべて上村武男「千鳥―月光に顕(た)つ少女」から】
みすゞだって悪くはない。けど、千鳥はもっとすごい。
世界は広くて深い。才器は在野に満ちている。
‥‥強く そう思って今に至ります。
この世には出会うことなく埋もれ消えていくものが沢山あります。消えるに任せればよい‥そんな考えもあるでしょう。しかし、出会ったものがそのバトンをつなぐことも一つのあり方です。ゆっくりじっくり出来ることを重ねて行きたい‥‥思いは募ります。