母古代子は、娘千鳥をどう見ていたのでしょうか。もちろん愛娘として慈しんでいたに違いありません。ただ、ここでも少し勝手な推論をしてみます。
先回、古代子は表現者というより主張者・発言者だと書きました。その流れで言うなら、千鳥は紛れもなく表現者です。巧まざる巧み、一字一句おろそかにしない言葉の選び方、その完成度の高さを、母古代子は認めていたのだと思います。自らも文章を書く一人として! さらに言うなら、脱帽し、自身 負けていると感じていたのかもしれません。だからこそ、千鳥の死後すぐに『千鳥遺稿』を編纂出版したのだ、そう思うのです。いかに出版についての経験と知識を持ち合わせ、同人誌を作っていたとしても、今から百年も前の時代です。DTPもネット印刷もありません。当時、日本海の浜辺の村で(裏日本と呼ばれていた頃のことです)一冊の本を作るのは容易なことではなかった筈です。それも、自分の本ではなく、七歳半の愛娘の書いたものを本にして残そうというのはフツーのことだとは思えません。『千鳥遺稿』の編纂後記に母古代子はこう書いています。
「彼女は強い個性を持っていた。教育と云ふやうな一切の事は、彼女を導く何物にもならなかつた。教へたからと云つて「教はる」やうな子ではなかつた。自分の氣に入つた事だけして、自分の気に入つたやうに生活しなければ、きかない子であつた。(中略)學校の「綴り方」の時間は、体操時間よりも嫌つていた。一寸は、不思議にも思へるがなかなか氣の向かない彼女には―創作的なものが好きであるだけにー學校の制限的な「綴り方」の時間が氣に入らなかつたのは當然過ぎる事なのである。(中略)無論、家庭の影響はある。しかし彼女の手を執つて物を書かせるやうな冒瀆は、嘗て試みもせず、彼女自身が受入れもしなかつた。一寸した添削すら彼女には氣に入らなかつたのである。」
娘と母の文才の差、それは今一度、『千鳥遺稿』のチドリの詩文と、母古代子の書いた詩編を読みかえしてみれば歴然明白です。
(チドリの詩文はココから読めます。千鳥 全作品)
以下には、母古代子が千鳥について書いた詩編を幾つか挙げてみます。(1992年 編集工房 炬火舎 刊『暗流 田中古代子詩集』より)
波頭
日本海の荒潮の如きわたしの胸は / いま波頭の如く砕けてゆく。 / 子は息を失ひ/ 鉄瓶静かに鳴る初秋の朝 (一九二四、八、十八)
初秋
浜の細みち!/ 出て行く後姿のみち!/ 帰ってくる笑顔のみち!/ 朝夕に眺めやれど‥‥/ 振りかへれば小さき祭壇に/ リボンを頂きたる白き骨壺 / お前の好きな果物お菓子 / それよりもそれよりも / この、いっぱいのお花をごらん!/ かおる生花、しぼまぬ造花 / おゝ、待つ心の一瞬間! / 狂気のやうによろこび踊る姿が‥‥ / リボンを頂きたる白き骨壺よ / あさつゆにぬれた野の花を / お前といっしょに摘んだなでしこを / 今日もさがしに、五歩、十歩‥‥ / 「母ちゃん、待ってよう」/ 振りかへり、振りかへれど / フサフサ断髪のまぼろしも見えず / さみしくも我が家にまてる / リボンを頂きたる小さき骨壺壺!
嘆きの中より
チドリ‥‥ / (今では思ひ出の一つの名称となって / チドリ‥‥チドリかと話してゐる / が当っては跳ねるお前に呼びかけ / 歌うお前に呼びかけた / その可憐な名であった。チドリよ)/ 今日はお前の三カ月目の命日 / あの山のお墓におまゐりに / お花を持って行こうと考へたけれど / 母ちゃんは少し熱が出るのでね / からだが恰度、かげらふのやうに / ふらふらするので汽車が厭! / それに― / 浜村に行って / お前の小さな足跡のきざまれた / 山を見、砂丘を見‥‥ / お前が愛した海 / 死に導かれた海を / お山の墓地に立って / 遥々と眺める哀しさは / 思っても身が消えるやうだ / 今日は殊に / お前の好きだった小春日― / 浜村の砂丘の上で / 砂の塔をつくってゐる / 無心なお前の背後から / ソッと行って驚かしてやることが出来たら / なあ!/ ー大きな黒瞳がおびえて / 「かあちゃん!厭、厭、びっくりさせて、 / ひどいかあちゃん! 青い鸚鵡のお家が / くづれちゃった!」 / 前の乳歯が二本ぬけて / 「タチツテト」の発音に / 小さな舌の先がチョコチョコ覗く / あの活発な可愛い顔が / 冷くなって、骨になって / 今はお山の土の底に― / チドリよ / 今日はお前の三カ月目の命日 / 何と言うお前の好きな小春日 / それにかあちゃんが / たったこれだけの追慕の詩でも / 筆が動いたのは / 全く今日が初めてなんだよ / 長い長い間、一人っきり / 緑の寝椅子にねてばかり / ホカホカ陽光を浴びてゐると / 限りなくお前を思ふ限りなく / ―くぼんだ母ちゃんの胸に飛びついて / 小犬のやうに小鼻を動かし/ しかも異常な真面目さで / 「母ちゃんの匂ひが大好き! / 何て、母ちゃんの好きな匂ひ / 匂ひを頂戴!かゞせて頂戴!」 / 「くすぐったいよ! / 胸を押さえては苦しい‥‥ / ちいちゃん!この子は!」 / キャッキャッと笑ひ / クンクンかぎまわし‥‥/ おゝ、お前の美しい髪を撫でなくて / 九十日も経ったのか?/ 空しく寝椅子にねてばかり/ 黙って寝椅子にねてばかり‥‥ / お前の頭の香が恋しいよ。 / お前がやさしく育った揺籃の家を / 売って仕舞った恋しさに / お前は命を奪われたのではないか知ら? / 人の家の二階でも / 草がなくても樹がなくても もう少し辛抱して生きていてくれたら / ここにお家が出来たのに― / お前の元の家ほどに / 唄も思ひ出も、物語りもないけれど / ここならよろこんでおくれだろう / 広い広い田圃の中を / 玩具のやうな汽車が / お前の好きな白い煙を吐きながら / 小春の空に模様を描く/ あちらでも、こちらでも/ いま、稲こきが忙しい / ザッ、ザッ、ザッと / 藁と米が分けられていく傍に / 女の子が落穂を拾って遊んでゐる/ 何と、お前が有頂天になる情景だらう/ 何鳥だか白い腹をした / かもめのような鳥の一群が / 何処から飛んで来て何処にかえるのか / 楽しそうに空中を泳いでいる / チドリよ / 八月のさ中から / お前の即興詩も童謡も / 可憐な歌聲も聞かないのだがー/ あたりまへなら / 村にも町にも満ちている子供の数にお前もゐて/ こゝの目新しい生活を / みぞれの夕の浜村の恋しさを / お前はどんなに唄うだらう! / チドリよチドリよ / 今日はお前の三ケ月目の命日 / 九十日もの間、母ちゃんは / どんな思ひに夜々を重ねたか! / 忍んで忍んで― / 一生から言えば、やっと九十日 / 別れたさびしさから言えば九十日も! / 何かを、泣き泣き待ってゐた / 何を待ってた心だらう?/ お前を待ってるんぢゃない筈だが / それでも私は待たされる / 待っても待っても、八っつきりのお前は / i居らないんだ、他所で大きくなってもくれないんだ / それでも毎日、何だかお前を待ってゐる / 闇にも消えない影なんだ / 夜昼続く夢なんだ / だからいつまでもいつまでも / 涙ぐみつゝ / ぼんやり外を見てゐるのだよ / かあちゃんの命のある限り / この心搏で待つだらう / もうお山には雪が来ているのに / お前は夏の姿のままで / 手足が氷のやうに冷たかろう / この懐ろであたゝめてやりたいな/ 春が来ても、来年の夏のなっても / 帰ることのないお前は / 却って母ちゃんが還るのを待ってゐるのだね / おゝ、その『時』はいつだらう/ 『時』の迎へは背後まで来てゐるかも知れないのに / 何も彼も遙かにある心持で / 地平線の彼方に / いのちの影をみつめている。 おゝ 、/ 今日の命日を / 太陽よ / 浜村の山に別れて来た小さな墓標を / ひねもす抱いて撫でゝくれ / 葬れたらば/ 砂丘のはざまを越えごえて / 潮が読経をしてくれるだらう (一九二四年十一月十八日)
母の詩は いかにも 甘ったるくて ゆるい。文学者・表現する者として「古代子≦千鳥」軍配アリ。そのことを母は誰よりもよく知っていたのだと思うのです。