「けむり」は田中千鳥の絶筆です。
ばんかたの空に / ぽつぽと / き江てゆく / きしやのけむり (大正十三年八月八日夕)
この詩を書いた十日後 八月十八日に千鳥は他界しました。僅か七歳半のイノチでした。異父妹 松岡李々子さんは『千鳥遺稿』の復刻版に寄せて、「彗星のように消えた」と書きました。
谷川俊太郎の詩集『どこからか言葉が』が出版されたのは、令和三年(2021年)6月のことです。千鳥が亡くなって 一世紀近く経ちました。気の遠くなるほどの時間が流れ、時代も社会もすっかり変わりました。それでも「純度の高い」言葉の流れは、涸れずに受け継がれ、今も流れ続けていることを感じます。
たとえば、《谷川詩集》の「夕闇」(部分)第三連
ことばが先にたって / こころがその後をたどってきた / からだはことばを待たずいつもそこにいた / 夕闇が濃くなって / 遠い空に光が残っている / 悲しむだけで私は十分に苦しんでいない
あるいは、「からっぽ」(部分)第一連
ふたをあけたら / なにもはいっていなかった / からっぽなら / なにをいれてもいいのか / それともみえないなにかが / もうはいっているのか
さらに、「元はといえば」(部分)第四連 第五連
元はといえば素の生きもの / 人に生まれて産着の後は / どんどんコトバで着膨れて / おかげで人並みに活きてきたが / 歳をとると厚着が重い / コトバを脱いで裸になって / 宇宙の風に吹かれたい
百年を経て、7歳の詩の魂と90歳の詩の魂が交感し共鳴するようです。千鳥もまた宇宙のどこかでいまも風に吹かれている、そんな思いも浮かんできます。
それにしても、最終連のこの言葉、谷川俊太郎21歳の第一詩集『二十億光年の孤独』の有名なフレーズ
万有引力とはひき合う孤獨の力である
を思い出します。
詩に限らず、あらゆる文学の根っ子にあるのは、書き手と読み手の交感・交換=「ひき合う孤獨の力」なのだとあらためて感じ入りました。