千鳥詩に出会って十余年、千鳥詩の布教を始めて五年が経ちました。少なくない人々から、田中千鳥の詩について感じたこと・思ったことが寄せられています。その幾つかを紹介していきます。
もとより文学の読みに正解があるわけではありません。かつて弟子:去来に向かって師:芭蕉が放った言葉「言いおほせて何かある」(何かをうまく言い尽くせたからといって、それがどうした、後に何が残るのだ 出典:『去来抄』)を胸に刻みながら、あらたな読みに出会う喜びを共有して貰えれば有り難い限りです。トップバッターは、永年の友人編集者Kさんから頂戴した言葉。
「感性とは不思議なものですね。チドリの植物や虫、鳥、星や月に感じたことを100%言葉に移しかえることのできる才能は多分天性のものだったのでしょうね。‥‥」
もうひとつは、東京の写真家Aさんから。
「表現には稀に表現者にも対象物にも属さない〈何か〉が宿ることがあります。その何かは得てして残酷なものです。千鳥の詩を〈身も蓋もない残酷〉と呼べば言い過ぎでしょうか‥少女の眼は深くてこわい !!」