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千鳥の世界

温故知新:コカ・コーラ

吹いて来い、吹いて来い
秩父おろしの寒い風 山からこんころりんと吹いて来い
世は末法だ、吹いて来い
己の背中へ吹いて来い
頭の中から猫が啼く
何処かから誰かがロダンを餌にする
コカコオラ、THANK YOU VERY MUCH
銀座二丁目三丁目、それから尾張町
電車、電燈、電線、電話 ちりりん、ちりりん
柳の枝さへ夜霧の中で
白ぼつけな腕を組んで
しんみに己に意見をする気だ
コカコオラもう一杯
サナトオゲン、ヒギヤマ、咳止めボンボン
妥協は禁制
円満無事は第二の問題 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥

これ、誰の詩かわかりますか?

答えは、高村光太郎。1914年(大正3年)に発表された詩集『道程』に収録されている『狂者の詩』の書き出し部分です。「コカコオラもう一杯」のフレーズはこのあともさらに繰り返して登場します。

そうなんです。あの”Coca-Cola”も大正時代初めには既に日本にやってきていたのです。輸入販売していたのは、東京京橋本社の明治屋でした。1919年(大正8年)には同社発行のPR誌『嗜好』に「コカコラタンサン」の宣伝文が載っています。

リードコピーは『衛生的にも嗜好的にも最も進歩せる世界的清涼飲料水』。こちらは、1918年(大正8年)同じ年に大阪日日新聞に載った広告。すでにお馴染みのカリグラフィーのロゴマークが登場しています。

高村光太郎だけではありません。1925年(大正14年)には芥川龍之介が同業の小説家・佐佐木茂索に宛てた手紙の中に「コカコラ」と書いています。

四行目に「酒飲まぬ身のウウロン茶、カフェ、コカコラ、チョコレート……」とあります。当時すでにハイカラなインテリ層の間ではそれなりに注目される「カッコいい飲みもの」だったことが窺われます。しかし、大衆品のラムネ(八銭)や高級品だったサイダー(二十三銭)ほどには人気が出ず、まだまだ珍しい舶来の飲料というだけにとどまってようです。ただ、ここで妄想を逞しくすることが赦されるならば、1921年(大正10年)ころより 母:古代子が同棲同居を始めていた涌島義博(千鳥の義父)が大阪京都土産に買ってかえった可能性もゼロとは言えません。なにしろ、古代子は大正時代の「新しい女性」のひとりであり、涌島は出版事業も手掛ける新進気鋭のジャーナリストだったのですから。コカコオラを口にした千鳥が果してどんな感想をもったのか‥想像してみるだけでも愉快です。

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

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