Depth という英語には、深さとともに奥行という意味があります。奥行・奥地、深み、深淵・深遠、深刻、‥最中・たけなわといった意味も。
千鳥の詩を読むと、身の丈そのままにどこまでも根源に降りていくことが促されます。奥深いところでの共振・共鳴に誘われます。底知れぬものに触れている、そう読めるのです。それは、徒に深さを競うものではありません。頭の良い人が自らの深遠・深謀遠慮を誇る〈深さ競争〉〈賢さ自慢〉とは無縁です。(五、六歳の幼女ですから、当然と言えば当然ですが‥)奥深く潜れば潜るだけ狭く息苦しくなるのでなく、むしろ、読めば読むほど、どんどん奥行きが広がり、自由になっていきます。
平易にして底知れず。(底が浅いものはお里が知れます。魂胆が見え透きます。醜く見苦しく浅はかです。)
世界は、底抜け・底なし・底知れず。千鳥は「目の前の世界が果て無し・涯なしに拡がっている」ことに気づかせてくれます。『千鳥 月光に顕つ少女』を書いた上村武男さんが「余韻・余白」という言葉で語ろうとした千鳥の詩の魅力は、Depth・奥行きの拡がりであり、自由さでした。それはオモシロイというよりオソロシイ世界へのいざないでもあります。手加減ナシ、斟酌ゼロ、本気度100%の詩です。