人に寿命があるように、物にも寿命があります。先回、消えたものをシリーズで採り上げると書きましたが、その第一回は「電報」です。といっても若い人にはなじみが薄いものでしょう。もしかしたら見たことも聞いたこともない人もいるかも知れません。千鳥が生きた大正時代から百年あまり、通信の世界も様変わりしました。手紙・書状から、電報、固定電話を経て、テレックス・ファクシミリから、携帯電話、E-mail、SNS、Line、‥‥。
チチキトク。サクラサク。カネオクレタノム。‥‥ 短文化は、日本の特徴の一つのようです。
2021年2月に出た古川洽次さんの本『俳句と電報と Haiku and Telegrams – and More』【かまくら春秋社 刊】の巻頭に俳人夏井いつきさんの「発刊に寄せて」が載っています。
「俳句も電報もどちらも短文です。伝達と表現でこれだけ違いが見えるのは面白いことです。学校の国語では正確に伝達して読み取るのが説明文、表現として膨らませて言葉を楽しむのが小説や詩歌だと教えていました。子どもたちには両方の知識を育てていかなければなりません。「電報文学」をもっと深めたら面白いと思います。」
俳句は、HAIKU 世界語になっています。たたむ・よせる・つめる・けずる‥‥。古くから日本人は「小さきもの」に惹かれてきました。盆栽も箱庭も、ジオラマもフィギュアも。そして、”Twitter”もまたその現代版なのかも知れません。何でもかんでも省略・短文化する風潮に与するわけではありませんが、 「伝達」と「表現」を掛け算した新しい味わい、「説明」と「描写」が溶け合って生まれる相乗効果を活かした新しい文学が生まれれば面白いことです。
平易なことばが持つふくらみを信じて、短詩文を書く新しい千鳥の登場を夢想します。