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千鳥の世界

千鳥と露姫 その参(追記)

千鳥と露姫の類縁については、先 二回で終えるつもりでした。ただ、千鳥第一使徒としての筆者にはいささか物足りなく言葉足らずの不全感が残りました。そこで今回は余計な付け足しを追記する次第です。(もとより、千鳥びいきの強引・暴論であることは承知の上での狼藉です。お赦しを乞うてしばしお付き合い願います。)

境遇・遺したことば・‥確かに二人は似ています。時代は変われどその非凡な才気にふれた人の多くが、目を見張り、舌を巻きます。稀代の〝天才少女〟そんな形容詞を冠する人もいます。ただ、二人には異なるところもあります。

決定的な違いは、露姫が遺したものが、父上や母上、乳母たち、身近な親族・見知った近親に宛てた《私信・手紙》であったのに対し、千鳥が書いた文は《作文・詩文》だということです。手紙は「具体的な個人」に宛てたものです。そこにどんな文芸的修辞・工作が施されていようと直接的には誰かに宛てて、誰かに向けて、綴られたものです。たまさか後代に伝えられ、広く読まれるとしてもそれは一義的なものではありません。作文は違います。意志的か無意識かは別にして、読まれることを前提に書かれます。ただ、向かい合うのは、「より抽象的な誰か」です。読み手は漠然望洋として具体的・限定的ではありません。

つまり、露姫と千鳥では「見えているものが違う」そう思えて仕方がないのです。もちろん二人はともに幼子です。六歳や七歳の少女が日々目にする世界・社会は狭く限られたものです。家族や近隣、周辺の景物・自然・日常‥そんなところでしょうか。露姫は、そこに細やかな親愛の情を込めて「文(ふみ)」をしたためました。らしからぬ文学的素養・技巧を凝らして、血や縁を大切に慈しみました。較べて、千鳥の「文(ぶん)」は、もうすこし素直・写生的です。同じような身近な世界を描きながら、その目は醒めて、自らの身のまわりよりも広い世界・見知らぬ遠い世界に手を伸ばそうとしている、そんな希求・表現の深度を感じます。(筆の)湿り気と温かさ vs (鉛筆の)乾きと透徹冷静。そう対比したくなります。千鳥の詩文からは、文学の萌芽、限られた時空を超えて無窮を生きようとする渇きが匂い立ってくるです。

詩人・評論家の吉本隆明は、何度も「文学は自己慰安を本質としている」と語っています。⇒「文学みたいなことを専門的に、小説でも詩でも評論でもいいんですけど、それを書いて、できるだけ人に通じるように手直しをして、人に差し出すって、読んでくれる人は読んでくれないかって風に差し出すというのは、差し出すことが目的のように見えるけど、本当はそれは僕は、文学というのは根本的に自己慰安だと思っています。自分を慰めるために書く‥(中略)‥これは自己慰安なんだ、僕も今でも自己慰安の部分があると思って、これなくなったらお終いっていう風に思ってるわけです。」【ほぼ日刊イトイ新聞主催 吉本隆明の183講演「ふつうに生きるということ」2003年9月13日 東京国際フォーラム ホールC 収録より】講演をお聞きになる方はコチラで聞けます=吉本隆明の183講演「ふつうに生きるということ」

文学の萌芽「自己慰安」を孕む、水のように清澄な田中千鳥の詩文と、肉親・近隣に血の情愛を注ぐ露姫の手紙。どちらが優れているというわけではありません。が、千鳥第一使徒としては、こう思いたい気分です。

血は水よりも濃い。確かにそうかもしれませんが、水は血よりも清い

kobeyama田中千鳥第一使徒

投稿者プロフィール

田中千鳥第一使徒

千鳥と露姫 その弐

一筆啓上①(そちらの様子は‥) 

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