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千鳥の世界

母:古代子のこと その二: 主張者 ≧ 表現者

鳥取県の出身で、田中古代子とほぼ同時代に活動した小説家に尾崎翠がいます。翠は県東部岩美郡、古代子は気高郡と生地も近くです。ともに文芸同人誌『水脈』に属し、東京時代には交流もあったようです。鳥取女流ペンクラブ内田照子さんは「鳥取県出身者たちで無産県人会を結成した。」と書いています。(内田照子【作家ガイド 田中古代子】富士書店「尾崎翠田中古代子岡田美子選集」1998年8月20日発行)

没後も読み続けられ、映画も作られた「尾崎翠」と、知られず埋もれた「田中古代子」、その差はどこにあるのでしょうか? 勝手な推論・論証なしの暴論ですが、尾崎翠は、表現者・文学者であり、田中古代子は、表現者というより発言者、文学者というより主張者(ジャーナリスト・運動家活動家)だったのではないか、そう思います。翠はイマドキでいえば腐女子、表現・文体を彫琢する早熟文学少女。古代子は、思いのたけをぶちまけ、言葉を砲丸投げのようにぶつける発言者だった、そう妄想します。主張者という妄想、あながち的外れでもなさそうなことを示す傍証を二つ挙げます。

田中古代子研究者の中山昇治さんは、詩集『暗流』のあとがきに記します。「ぼくには詩のテクニックはわからない。しかし、からだ全体で書いている散文には惹きつけられる。はつらつとしている。もうひとつ。古代子の文章には、人間として、女として、自信を胸いっぱいふくらませて体当たりしている姿がある。骨太な思想がその根底をなしていた。

鳥取女流ペンクラブの内田照子さんは、『尾崎翠 田中古代子 岡田美子選集』の【作品ガイド】田中古代子にこう書いています。「古代子のペンネームのことであるが、田中孤夜子、北浦みほ子、田中古代子と変わっていった。(本名)コヨに古代子とつけたのは、推測であるがやはり明治四十四年九月に創刊した『青踏』の平塚らいてうの「元始 女性は太陽であった」という言葉を、頭のどこかで意識していたからではないか。

主張者と表現者の違いは、もとより、優劣・上下云々ではありません。気質の違い、持てる音調・オクターブの差ということでしょうか。古代子が書いた「二種の夢と私の存在」(上述の鳥取の文芸同人誌『水脈』1924T13年1月発行)にはこんな一節があります。

「‥人魚のやうに躍動して、家庭の窪地から人間の地平線の上へ出たい。しかし、裁縫・洗濯、足袋の鼻緒の修繕も喜ばしい使命として踏みにじりたくない。私は女だ。家庭に於ける人の妻であり、幼児の母であり、また老母には一人の娘であり、一人の弟には一人の姉である。けれども人妻に即せず、母親たるに傾かず、尚又娘であり姉であるに限られない所に、それ以上の所に、私は自分の存在の価値を知りたいのだ。‥」

主張者としても表現者としても一級品、背筋を伸ばしすっくと立った、清々しい文章だと思います。

 

 

 

 

 

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

母:古代子のこと その一:生家

母:古代子のこと その三:母 ≦ 娘

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