千鳥の色は原色ではありません。今様のパステルカラーとも違います。〈自然の色 そのもの〉を伝えてきます。平成令和の今から振り返る日本の色・伝統的でノスタルジックなものとも異なります。もっと 目の前で目にした「現前する色」です。
数え年六歳で書いた最初の詩、
キノハノ / ヲチタ / カキノキニ / オツキサマガ / ナリマシタ(實りましたの意)
には、薄暮の中に赤みを帯びた黄色が鮮やかです。七歳で書いた「シロイクモ(雲)」の最後は
‥‥‥ / ‥‥‥ / アオイソラニ / シロイクモ
と、終わります。何も言わずとも、色が浮かんできて目に残ります。同じく七歳の詩「タナバタサマ」の最後もこうです。
‥‥‥ / ‥‥‥ / ヨルニナツタラ / チョウチン トモソ
チドリは、どうすれば言葉が印象的に伝わり、読み手に緩みなく残るかを知っていたようです。それは技巧以前、表現の技法として意識するよりずっと前のこと、〈天性の直覚〉とでも呼ぶしかない 何かです。
こんな詩もあります。「オ月サマ」
オ月サマハ / キイラキラ / オホシサマハ / ピイカピカ / クモハチツトモ / ヒカリマセン
色が光であることが分かっていたような詩です。ひかりとかげを意識したこんなのもあります。「雨の日」
雨のふる日に とんできた / かわいいかわいい子雀は / おにはで 江さを さがしてる / ぬれた雀に えさやれば / 雀は ぱつと / かげもなくとぶ
「雀は ぱつと / かげもなくとぶ」七歳の少女にここまで書かれたら たまりません。いちばん好きなのはこれです。「空」
青空を / でんしんばしらの / はりがねが / すっときってゐる // 空をきったはりがねに / 雀がとまつてうれしさうに / ちゅんちゅんと / ないてゐる
20世紀イタリアの画家ルチオ・フォンタナの「空間概念」を先取りしているようにも見えてきて不思議です。

Lucio Fontana 空間概念シリーズ
「穏やかで静かな世界に一瞬亀裂が走りながら、その中で何ごともなく小さな命が生きている」‥チドリが切り取る風景には「危うい切なさ」が漂います。並ではありません。