わが国には、俳句や短歌といった短詩型文学の伝統があります。五七五、五七五七七の定型に縛られることなく「短詩」という項目を立てることもあります。近代詩人北原白秋は「短唱」と称していたそうです。口語自由詩の世界は、自由律俳句、一行詩、二行詩、四行詩など様々に拡がっています。(上記 アイキャッチ画像に掲げたのは草野心平の詩『冬眠』です。=文字はなく、空白の中に小さな黒い丸が一つ置かれています。これも短詩と認められ、「世界で最も短い詩」と言われてきました。アクロバチックな一編もあれば、篠原資明が提唱する超絶短詩のような試みもあります。【超絶短詩とは「ひとつの語句を、擬音語・
千鳥の詩もまた短いものが多いです。七歳半の少女にしてみれば当然のことでしょう。俳句や短歌の存在を知っていたのかまだ知らずにいたのか、定型、韻律に頼ることはなく、のびのびと自由で自在です。それでいて、心地よい音楽的な調べを持っています。舌足らずなところのないその「完成度」の高さには驚かされます。「結晶度」「輝度・硬度」と言い換えても構いません。どこまでも遠く〝作意〟から離れながら、チドリらしさを失うことはありません。素直で見事な超絶技巧、いや、技巧ではなく天分と呼ぶべきなのでしょう。