人間は「聞く」⇒「話す」⇒「読む」⇒「書く」 の順に言葉を覚えていくと言われています。乳幼児たちの言葉は、まず「聞くこと」から始まります。チドリもまた母古代子や祖母クニをはじめ、義父や二人の叔父たちに囲まれた「言葉」の中で育ちました。生来の資質もあったのでしょうが、語りかけの重なりが、チドリの「聞く力」を育て、「話す力」「読む力」に連なっていったのだろうと推察します。母古代子の「編纂後記」にこんな一節があります。
「昨年の夏頃から「赤い鳥」を手にしてゐたが、今年の三月頃からすらすらと、よく讀めるようになつて、毎月、祖母に朗讀して聞かせるのが唯一の遊びであり、また得意でもあつた。對話の個所なんかは、うまく調子をつけて對話らしく讀んだものだつた。「赤い鳥」が來ると、いつでも學校を休みたがつたものだ。雨の日など、私の眞似をして寝ころんで、ヂツと黙読してゐる様子には、いつもほゝえまされてゐた。」
「学ぶ」ことは「まねぶ」ことに始まるという説もあります。チドリは、きっと目と耳の良い少女だったのでしょう。「聞く力」「話す力」「読む力」を身に着けたチドリは、満5歳を越えた秋11月、初めて詩を書きました。
キノハノ / ヲチタ / カキノキニ / オツキサマガ / ナリマシタ(實りましたの意)
素直な叙景詩です。ひっかかるところなく、スラスラと頭に入ってきて、文句なしに映像が浮かび上がります。子供らしい平易なことばを使って、他の人が見逃したり言語化できないでいた景色をさらりと表現しています。なんだ当たり前じゃないか、この程度の比喩なら誰でも出来るさ、そう思われる方もいることでしょう。けれど、文学(なんていう大上段な言葉を振りかざさなくとも)言葉を綴る力・文章を書く力が、観察眼(目と耳で「感じる力」)から生まれ、巧まざる「考える力」によって、しっかりと文字に刻まれていく、その始発の初々しさは、凡ではなかった、そう思うのです。
1922年 この年1月には雑誌『コドモノクニ』が創刊され、2月にはグリコ発売、11月にはアインシュタインが来日しラジオの試験中継が始まりました。時代と環境、日々の暮らしが人を育てることには今も昔も変わりはありません。