残すこと、伝えることを今あらためて思います。
千鳥が書き、母古代子が『千鳥遺稿』を編んで出版したのが、大正十三年(1924年)のことでした。それが80年後、地元の教育委員会・文化協会(鳥取県気高町)によって復刻され、さらにそれが繋がって、若い人たちによる再々復刻版の発行や生誕百年記念映画の制作、新たな描き下ろし絵本の刊行に連なり、今に至ります。そのバトンの繋がりは、はや百年、いや、まだ百年です。
「記憶は例外なく物質の中に保存される」そう言ったのは、フィルムアーカイヴィストの岡田秀則さん(国立映画アーカイブ)でした。岡田さんとの対談で、NPO法人映画保存協会(FPS)の石原香絵さんはこう発言しています。「デジタル化はアクセス提供の可能性を広げますが、‥‥本当に重要なのは現物保存。」映画はフィルムで作られる時代を経て、メモリー・チップに変わりました。アナログからデジタルへ。しかし今、一瞬にしてデータがオシャカになる懸念から、再度フィルム保存の重要性が見直されつついます。木簡から紙へ、紙から電子へ、記録メディアも変わりました。けど、おもえば最強最古の記録メディアは依然「石」なのかなとも思います。古代よりあらゆる記憶が石に刻まれて残されてきました。
残すことの大切さ、残ることのありがたさ。 記憶、記録、物質、保存、伝承‥
記録は常に未来に向けられています。永遠に残す営み。形にすれば何かが残ります。少なくとも人間よりも長く残ります。誰かに伝わります。たとえそれが誤解であれ、曲解であれ、意にそぐわないものであろうとも、残すこと、残ることは得難い営為です。それは、恐ろしいことでもありながら、まぎれもなく人間的で素敵な行為だと思います。大正から昭和、平成、そして令和へ‥チドリのバトンを繋ぎます。