月の詩もいくつもあります。
千鳥についての評論を書いている星清彦さんに依れば、「数えてみると一番多く使われていた言葉は「月、雨、風」で六作品に表れ、次に多かったのは「花、空、雲、雪」そして「病気、寺のかね、雀」といった言葉でそれぞれ五、及び四作品に使われています。」【月間文芸誌「かぶらはん(鏑畔)」588号 2007年5月「夭折の詩人鳥取の少女詩人田中千鳥について(上)」より】
月はひとりぼっちです。
太陽が自ら発熱・発光して輝くのに対して月は太陽の光を受けて光っているだけです。もとより五、六歳の幼女にそんな知識があったかどうかは分かりません。知っていたにせよしらなかったにせよ、月のはかなさ、寂しさをチドリは本能的に感知していたのではないかと想像してしまいます。
キレイナキレイナ / オ月サマ / クモ ガ ヨコシテ / オトモシテ / オ月サマハ / タノシカロ ( 六歳 オツキサマ )
オ月サマハ / キイラキラ / オホシサマハ / ピイカピカ / クモハチツトモ / ヒカリマセン ( 六歳 オ月サマ )
「朝の月」 この詩を書いた十七日後に千鳥は亡くなりました。
一九二四年八月十八日 七歳五か月あまりの命でした。最終行「月のゆくへは わからない」が沁みます。
「とっとり文学散歩第十四話 朝の月 田中千鳥」【掲載誌不詳】西尾肇さんの文章にこんな一節があったことを思い出しました。「千鳥は自分のことを「月夜の海の波から生まれて星の国へ還る」のだと空想しているとどこかに書いてあった。」