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千鳥の世界

大正発 令和行 シリーズ 教育その1

千鳥の尋常小学校との折り合いはあまり良くなかったようです。母:古代子は『千鳥遺稿』の「編纂後記」にこう記しました。

彼女は小學校の二年生にまでなつてゐたが何故か、挨拶の仕方でも、歩き風でも、學校といふ所の氣風色彩―学生型―に染まらず、最後まで獨特なアブノーマルな成長をしてゐた。

彼女は強い個性をもつてゐた。教育と云ふやうな一切の事は、彼女を導く何物にもならなかつた。教へたからと云つて「教はる」やうな子ではなかつた。自分の氣に入つた事だけして、自分の氣に入つたやうに生活しなければ、きかない子であつた。

學校の「綴り方」の時間は体操時間よりも嫌つてゐた。一寸は、不思議にも思へるがなかなか氣の向かない彼女にはーー創作的なものが好きであるだけに――學校の制限的な「綴り方」の時間が気に入らなかつたのは當然すぎる事なのである。「先生が題をきめられるし、みんなが八釜しいし‥‥」と云つて、消氣て歸るのが、いつものやうであつた。そのくせ、宅で遊んでゐると、いろいろな機會に、素的な詩や作文が出來るのであつた。二學年になつてからは、自修で持つてゆく作品をすべて受持女先生から疑はれてゐた。一日に二三時間、どんぐりの脊くらべのやうな中にあつて興味なく過し、たまたま自由作品を持参して疑ひの眼に凝視されてゐた様子は、彼女のために氣の毒であり實に遺憾であつた。無論、家庭の影響はある。しかし彼女の手を執って物を書かせるやうな冒瀆は、嘗て試みもせず、彼女自身が受入れもしなかつた。一寸した添削すら彼女には氣に入らなかつたのである。しかし受持先生の疑ひも無理とは思へなくなつた。何故なら彼女の没後、種々なノートを集めて見るに、朝夕育んだ我子ながら、驚かざるを得ないものに多々接した。今では先生の蔑視をころよく認容してゐる。

千鳥は學校という「型」から 少しはみ出した少女だったのでしょう。

それから百年が経ちました。時代は変わりました。が、果たして日本の初等教育は変わったのでしょうか。あまり変わっていないように見えます。学校はいつだって、型にはまった協調性のある「良い子」を育てるところです。場を乱す子・空気の読めない子は同級生にも先生にも嫌われます。普通が一番、普通じゃない子は良くない子、平成から令和にかけて、個性や多様性が言われながら、この同調圧力の傾向は一段と強くなっていくような気がしてなりません。[この項 続けます]

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

大正発 令和行 シリーズ 医療

大正発 令和行 シリーズ 教育その2

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