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千鳥の世界

千鳥と露姫 その壱

これまで何度か、田中千鳥の故郷・鳥取出身の方から、「千鳥って、江戸時代の露姫に似ていますよね」と言われたことがありました。露姫? 不勉強でそれまで露姫については全く知りませんでした。ということで、今回は鳥取では知られた「露姫」物語の始まり始まり。

露姫は通称、本名は松平露(露子)、江戸時代後期 文化14年(1817)、因幡国鳥取藩(32万5千石)の支藩・若桜藩の五代藩主・池田定常の末娘として生まれたお姫様です。文政5年(1822)、天然痘(疱瘡)に罹り、僅か五歳(数え年六歳)でこの世を去りました。父定常は、小藩の大名ながら松平冠山という雅号を持ち、文学に親しみ隠居後も多くの江戸の文学者・学者と交流し、当時より「文人大名」として知られていた人物でした。その血を受けたのか、露姫も利発な少女だったようです。死後、父や母、侍女(乳母)らに宛てた何通かの遺筆が発見されたました。そのことから露姫の文学の才が注目・評価されるようになり現在に至ります。とても五歳の幼女が書いたとは思えない達者さゆえ、地元鳥取では郷土の文化人・天才少女の一人として今なお「知る人ぞ知る」存在となっているのです。下に掲げるのは、大阪日日新聞2008年2月8日の新聞記事です。鳥取県鹿野町のお寺で露姫の遺書の木版が見つかったことを報じています。

露姫が遺したことば=遺筆について詳しくみて行きましょう。【一:父定常に宛てたもの】

於いとたから こしゆあるな つゆがおねかい申ます めてたくかしこ  於とうさま まつたいらつゆ ( 老い年だから 御酒(ごしゅ)あるな 露がお願い申します めでたくかしこ おとうさま まつたいらつゆ )

【ニ:母たへに宛てたもの】

まてしはし なきよのなかのいとまこい むとせのゆめの なこりおしさに  おたへさま つゆ(待てしばし 亡き世の中の 暇乞い 六歳の夢の 名残惜しさに) おたへさま つゆ

【三:侍女のときとたつに宛てたもの】

ゑんありて たつときわれに つかわれし いくとしへても わすれたもふな  たつ とき さま 六つ つゆ(縁ありて たつ・とき(立つ時)我に 使われし 幾歳経ても 忘れ給うな) たつ とき さま 六つ つゆ

【四:胡蝶や稚児桜、雨の絵とともに】

十いちかつ こきうそくてかく(十一月、御休息(の間)で書く)

おのかみの すえおしらに もふこてう(己が身の 末を知ら(ず)に 舞う胡蝶)

つゆほとの はなのさかりや ちこさくら(露ほどの 花の盛りや 稚児桜)

あめつちの おんはわすれし ちちとはは(天地の 恩は忘れじ 父と母)  六つ つゆ

いずれからも、数え六歳の幼女の筆とは言えない細やかな技巧・心遣いが伝わります。父には率直な思いを、母には和歌仕立て、侍女たちにはその名を織り込んで、さらには絵と文字、自分の名を織り込んだ辞世の句まで‥‥自身の死を意識していたかのようです。

「幼女のままの病死」「文才」「周囲の人々への思いやり」‥‥、江戸の露姫と大正の千鳥、確かに、共通点は少なくありません。さらに、「勝五郎生まれ変わり物語」(東京都日野市)のホームページの中の「露姫様物語」には、こんなエピソードが記されています。

ある日、部屋に(あり)()い上がっていたので家来が殺そうとしていた時、露姫はこれを見て「何をしておる、(ほうき)でそっと()いて外へ放ちやれ」と命じられました。小さな生物(いきもの)の命にも心を配っていたのでした。‥‥ 露姫は幼女でありながら聡明であると評判が高く、思いやりのあるお姫様でした。  池田冠山と露姫

露姫のこの「小さなものへの目配り・心配り」は、田中千鳥がイソップ物語の「蟻とキリギリス」について綴っていたことを思い出させます。さらに、露姫が生まれたのが文化14年(1817)、千鳥が生まれた大正6年(1917)は、その丁度百年後にあたることを思うと、奇しき縁を感じます。田中千鳥が露姫の生まれ変わりのようにも思えてきます。(この稿 続きます)

 

kobeyama田中千鳥第一使徒

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田中千鳥第一使徒

千鳥づくし⑧ 拾遺

千鳥と露姫 その弐

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