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千鳥の世界

尾崎翠のこと

尾崎翠は、1896年(M29)鳥取県岩井郡(今の岩美町岩井温泉)に生まれ、大正から昭和の初めにかけて活動した文学者です。地元鳥取の近代文学史研究者の竹内道夫さんに拠れば、「 千鳥の母・田中古代子とは同年生まれ、鳥取の文芸誌『水脈』ではともに同人となり、上京した折には東京で「鳥取県無産県人会」の結成に参加、浅からぬ交流があった 」もようです。【参考:定本尾崎翠全集上巻栞「翠と鳥取ゆかりの文学者」筑摩書房 1998年9月15日 発行】ともに大正期の「新しい女性」として文学を志した二人でしたが、古代子は県下初の婦人新聞記者となった経緯などから、どちらかといえば〈ジャーナリスト志向の主張者〉、ひるがえって翠のほうは内向的で〈言葉と向き合い文体(スタイル)を彫琢する表現者〉だった印象を受けます。翠の資質は、むしろ、千鳥に近かったようです。

尾崎翠は生前にはほとんど世に知られることなく、「1933年(S8 翠37歳)に代表作『第七官界彷徨』が東京の啓松堂から出版されたに過ぎず、他の作品の多くは、代表的文芸誌に掲載された二、三編を除いては、読まれる機会の少ない雑誌のページのなかに埋もれてしまった作家であった。【引用:稲垣真美 「解説」 尾崎翠全集 創樹社1979年12月5日 発行 】『第七官界彷徨』の出版すらも、彼女は待つことなく東京を去り、その出版記念会は鳥取の人々によって鳥取のレストランで開かれた。以後、東京の文学上の友人との交信も絶え、戦中・戦後にかけて生死のほども不明となり、かつては翠のもとに日参した林芙美子なども既に死去したものと思いこんだほどであった。【引用:稲垣真美 同 創樹社全集より】

五感を超えたいわゆる第六感よりもさらに高みにある「第七官」を描いた小説『第七官界彷徨』は、同時代の文学者に強く支持されました。死後にも何度も全集が出版され、間歇的ながら何回か再評価され静かなブームを起こしながら今も読者を増やしています。村田喜代子、中野翠、群ようこ、二階堂奥歯、川上未映子らが世代を超えて翠を語ります。男性陣では、花田清輝、山田稔、若くは津原泰水が‥。津原は尾崎翠の没後新発見された映画脚本「瑠璃玉の耳輪」(1927年=S2年 阪妻プロ公募入賞作)を原案にした小説を書き下ろしました。

尾崎翠と田中千鳥。同じ山陰の海を愛でた二人は、自分の物差しだけでことばを紡いだ「表現者」でした。ともに類縁を持たない「孤立・孤絶の表現者」でした。系統や係累から離れたところで、独り立ち自らを磨いた「単独行の遊歩者」でした。

最後に二つ。「尾崎翠は取り憑く」と題した中野翠の一文。「文学商品としての尾崎翠のマーケットは小さい。小さいけれど深くて、濃い。少数の人の心しかとらえられないが、しかし、その少数の人の心の中には断然、特別の存在として根をおろす。【定本尾崎翠全集上巻栞 筑摩書房 1998年9月15日 発行】1960年 1972年 1973年と生前 都合三度も書いた花田清輝の「尾崎翠」「解説というものは裸に着物をきせるような仕事ではないでしょうか。みずみずしい裸は、それだけで、もう十分に、みるものをウットリさせてくれます。べつだん、ここが、おっぱいで、ここが、おへそで、‥‥なんて、くどくどと解説して読者をうるさがらせることはないでしょう。

翠や千鳥の言葉には「時代を超えた若さや新しさ」が宿っています。翠のように、千鳥の詩文に小さくとも強いスポットライトが当たることを願います。

kobeyama田中千鳥第一使徒

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